情報源 > 書籍の翻訳[D]甲状腺の悩みに答える本
<第1部・第5章>
第1部<第5章>
甲状腺ホルモンバランスの乱れとうつ病、不安、気分の浮き沈み
あなたの脳はあなた独自のものです。それがあなた自身の才能や知覚、そして気分を作り出しています。さらに、脳と体と精神がどのように共同して独自の精神状態を生じるかということを医者や脳の研究者が解明しようとする場合、その個性があるためにいくつか困難なことが生じます。例えば、正常な精神的健康状態を構成するものを正確に測定したり、あるいは定義したりすることがまだ科学者にはできないのです。ちょっと前には、正常な精神的健康状態というのは単に躁うつ病や精神分裂病のような明らかな精神病がないものと定義していた医師がいたのではないでしょうか。今日では、ほとんどの医師が何百万人という人に様々な、もっと軽いタイプのうつ病や不安があるということを認識しております。
しばしば、甲状腺ホルモンの乱れが軽いうつ病や間欠的な激怒発作、軽い集中障害、あるいはその他の“軽い一群の症候”を示す精神的感情的症状『悩まされはするが医師の精神病の基準を満たすほどはっきりしない病気』を引き起こします。このような病気のある人は甲状腺ホルモンバランスの乱れが起きると症状がひどくなります。少数の患者では、そのような症状の悪化によりもっとはっきりした精神病に陥ることがありますが、ほとんどの甲状腺疾患患者では、疲労や気分の落ち込み、気分の浮き沈み、また頭がはっきりしないというような甲状腺疾患の精神的影響が、“精神病”に罹ってはいないけれども大変な苦しみを生じることになります。
重症の甲状腺機能低下症が軽度の甲状腺機能低下症よりはるかに少ないのと同じように、軽度あるいは境界型うつ病は簡単に診断がつく大うつ病よりはるかに多いのです。
軽度うつ病:甲状腺の影症候群  
一般的にうつ病とは単に悲哀を意味するという誤解があります。悲哀感は生活の中で起こる悩んだり、がっかりするようなことに対する正常な反応です。落ち込んだ時には意気消沈したり、悲しく感じるかもしれませんが、悲哀は必ずしもうつ病の症状ではありません。うつ病では、その人の気持ちが周囲のあらゆるものと切り離されており、そのため悲しくもなければ幸せでもないということがあります。この断絶のために生活全般について心が動かされにくくなってきます。落ち込んでいるかどうかと聞かれた時に大体いつも「落ち込んでなんかいないし、悲しくもない」という答えが戻ってきたとしても、この人は実際にうつ病特有の症状に苦しんでいるかもしれないのです。
あなたがうつ病にかかっている可能性があるかどうかを確かめる簡単な方法は、次のアンケートに答えることです。答えが「いいえ」であれば次に進んでください。答えが「はい」であれば次の質問に進む前にその症状のひどさに応じて点数を付けてください。[軽い=1][中程度=2][ひどい=3]
いつも疲れていますか? はい・いいえ 1・2・3
以前は楽しんでいたことに興味がなくなりましたか? はい・いいえ 1・2・3
程度はともあれいつも悲しい気分ですか? はい・いいえ 1・2・3
いらいらすることが多く、些細なことで腹を立てますか? はい・いいえ 1・2・3
発作的に泣くようなことがありましたか? はい・いいえ 1・2・3
自分が無価値だと感じますか? はい・いいえ 1・2・3
物事に罪悪感を抱くことが多かったり、自分にとても批判的になりましたか? はい・いいえ 1・2・3
食欲亢進または体重増加がありましたか? はい・いいえ 1・2・3
食欲減退または体重減少がありましたか? はい・いいえ 1・2・3
物事を覚えることまたは普通の活動に集中することが困難ですか? はい・いいえ 1・2・3
なかなか決断を下せなかったり、手際が悪いと感じますか? はい・いいえ 1・2・3
一晩中よく寝られませんか? はい・いいえ 1・2・3
8時間以上寝ますか?(非常に早く寝ても、夜遅く寝ても) はい・いいえ 1・2・3
死にたいと思いますか? はい・いいえ 1・2・3
非難や拒絶にとても敏感になりましたか? はい・いいえ 1・2・3
  総点数   ・    12
上記の質問の3つ以上に「はい」と答えた人はうつ病である可能性があります。5つ以上の質問に「はい」と答えた人はおそらくうつ病と思われます。
ではそれぞれの症状の点数を足して、総点数を出してください。その意味は右の表に説明しております。この総点数は後で治療への反応を評価する際に役立ちます。
【うつ病/不安の重篤度】
総点数 15点以下 16〜24点 25点以上
症状の重篤度 軽度 中等度 重度
断絶感と疲労に加え、うつ病の主要症状には食欲の変化や睡眠障害、楽しいはずの活動に興味がなくなること、また記憶や集中力の問題があります。
一般的に、甲状腺ホルモンが減り始めると、その人の精神的エネルギーの変化は最初ほとんどわからない程度ですが、徐々にわずかな変化が生じてきます。そして不活発になり始め、午後には“勢いが衰える”ことがよくあります。疲労自体が体にどこかひどく悪いところがあるのではないかという心配をつのらせます。エネルギーの欠如がひどいイライラを引き起こしたり、以前のように働けないと感じさせてしまいます。これが次に罪悪感や無力感、そして自尊心の低下を引き起こします。甲状腺機能低下症の人の症状がうつ病の基準を完全に満たしていない場合でも、最初疲労や意欲の欠如として現れる軽度うつ病(慢性の気分変調症よりさらに軽いタイプのうつ病)になっている可能性があります。
ドーンはアメリカ各地でセミナーを主催している教育コンサルタントですが、診察を受ける1年前にエネルギーがなくなったことに気付き始めました。
彼女が言うには
午後3時にはすっかりくたびれてしまい、すぐにでも寝てしまいたい状態でした。私は以前とてもエネルギッシュだったので、これには恐ろしくいらいらしました。人が私のことを無力だとか、やる気がなくなっているのだと思っていることを感じました。でもやる気がなくなっていたのは私ではなく、私の体だったのです。職場で物事への興味を持ち続け、当たり前の人間として生活しようと努めるため、常に自分と闘い続けていました。私はまるであてもなくこれ以上できないほど早く踊っているような気持ちでした。昼食時と午後の休憩時間に静かな場所を見付けて、元気を取り戻すためちょっと昼寝をするようにしました。元気を出すためにチョコレートをかじったりしました。でも何も役に立ちませんでした。
私はドーンが中等度の甲状腺機能低下症であると診断しました。私が尋ねた時、彼女は他にいくつか甲状腺機能低下症の症状を言いましたが、ドーンにいちばん大きな影響を与えていたのはエネルギーが足りないということでした。彼女は自分に出ている疲労が他の症状のほとんどの原因であると思っておりました。その上、ドーンは不活発な甲状腺のため、境界型うつ病にも罹っていました。時々、彼女は説明のつかない怒りや食欲増進、異常な渇望をおぼえていました。また、彼女は誰かが自分のことを非難したり、自分が拒絶されていると感じた時にひどく傷ついていました。
外科医の妻である39歳のニーナは何度も夫に繰り返して「疲れているの。どこか体に悪いところがあるに違いないわ」と言っておりましたが、夫の答えはいつも同じでした。「付き合いが過ぎるんだ。ちょっと減らしなさい」
ニーナはストレスとか付き合いが多すぎるのではないと思っていました。むしろ、どこか身体的に悪いところがあるという確信を持っていたのです。エネルギーレベルが低下しておりました。そうあるべきと思う以上に眠く、体重の増加をコントロールすることができませんでした。
彼女の言葉によれば
夕方の7時にはもう寝たかったのです。くたびれ果てた感じでした。私はそんなタイプの人間ではなかったんです。集中することも働くこともできませんでした。不安がありました。一人でいる時、わけもなく泣くことがよくありました。私は幸福なはずだと思うのに、大体いつも幸せではなかったのです。忘れっぽくなり、それは本当に腹立たしいものでした。また物事に集中することも難しくなり、特に人の名前を覚えるのが全然だめになりました。でも大して気にしませんでした。そして引きこもったのです。
自分で何が悪いのだろうかと考えました。体重の問題が甲状腺の病気と関係していることを知っていましたしたので、経験を積んだ内分泌病専門医の診察を受けました。先生は「心配ありませんよ。どこも悪くありません。薬は必要ないでしょう」と言ったのです。
1年後、まだ症状が続いていたのでニーナは私の元にやってきました。彼女の苦しみを話した後で、彼女はこう言いました。「私は何か問題があることとちゃんと理由があるはずだということがわかっていました」私はニーナに最初にかかった内分泌病専門医に疲労以外の問題をすべて話したかどうか尋ねました。ニーナは「話さなかったと思います。先生が聞かなかったからです。私は先生がホルモンレベルは境界線上だけども正常だと言った時にがっかりしました。そのことが信じられませんでした。だから誰か他の人にも診てもらわなければと思ったんです」と言いました。
ニーナの血液検査では軽度の甲状腺機能低下症であることがわかりました。彼女は軽度のうつ病にも罹っていました。私はニーナに甲状腺ホルモン剤による治療を始めました。そして、彼女は急激な改善を見せたのです。疲れと間欠的な悲哀や怒りはなくなりました。ニーナは体と脳内にほんのわずか甲状腺ホルモンが足りないことから生じた“影の症候群”に罹っていたのです。薬を飲むことでニーナのエネルギーは回復し、その他の症状も消えました。ゆっくりと、でも確実に彼女の体は敵ではなく、彼女自身のものになり始めました。
ドーンやニーナのように多くの人が軽度の甲状腺機能低下症により不必要な苦しみを受けています。女性に対して行われた研究では、軽度の甲状腺機能低下症があるが気分障害の症状のない人であっても、甲状腺ホルモンで治療するとうつ病やヒステリー、および強迫行動のレベルを測る客観的なスコアの改善がはっきり見られることが最近わかりました(1)。これは軽度の甲状腺機能低下症の人が必ずしも甲状腺ホルモン不足を感じるわけではないという可能性を示すものです。そのような人は“自分自身でありたい”と願うためにそうなると思っているのかもしれません。
軽度の甲状腺機能低下症患者の大多数が精神科の助けを求めないため、軽度のうつ病に罹っている人での甲状腺機能低下症の罹患率をはっきりさせるのは研究者にとって本当に困難なことなのです。しかし、私は軽度うつ病に罹っている人では相当の割合で軽い甲状腺ホルモンバランスの乱れが起こっていると見ています。最近、ドイツのババリア州で行われた研究で、超音波検査をしたところ慢性うつ病患者の86%に甲状腺肥大があるのに、うつ病にかかっていない人では25%にしかなかったということがわかりました(2)
ではほんのわずかな甲状腺ホルモンバランスの乱れでさえ、どのように気分の落ち込みを起こす原因となるのかを見てみましょう。
甲状腺ホルモン:セロトニンのいとこ  
脳内化学作用とその気分への影響に関する知識に関しては、1960年代始めに爆発的に進歩が始まりました。ここ10年で、医師はセロトニンのバランスの乱れがうつ病を起こす重要なファクターであることに気が付きました。ほとんどの精神病が脳内の化学物質のバランスの乱れにより起こるのではないかという考えを受け入れることで、医師の精神障害の解釈や治療に大きな変化をもたらすことになりました。この生物学的精神医学または生物精神医学の新時代に、以前はしっかりと境界線で分けられていた分野である精神医学と医学が一つにまとまるのを見ることになりました。今では、精神疾患に対し身体的疾患と変わらない見方をするようになりました。
生物精神医学の初期には、神経科学者達は個々の精神障害がそれに対応する脳内化学物質のバランスの乱れに関係していると信じておりました。この仮定のもとで、ある特定の体内化学物質、あるいは血液や尿中にあるその副産物のレベルを測定することによって精神障害の診断ができるのではないかという希望を精神科医が抱くことになりました。しかし、脳の化学作用はそれ程単純なものではありません。ほとんどの場合、セロトニンやノルアドレナリン、またここで述べている甲状腺ホルモンを含む他の物質のような複数の化学物質のバランスの乱れが精神症状の原因となっているのです。
今では、甲状腺ホルモンが脳内化学作用の障害の“主役”の一つであると研究者は考えております。そして、どの脳内化学作用障害でもそうであるように、きちんと治療されるまでは、甲状腺ホルモンバランスの乱れが患者の感情や行動に重大な影響を及ぼすのです。
重要な甲状腺ホルモン、T3とT4が血液中に放出されると、臓器の細胞内に入り、体の主な機能を司るにあたって重要な役割を果たします。脳が正常に機能するためにも、生涯を通じて適切な量の甲状腺ホルモンが必要なのです。気分や感情だけでなく、集中力や記憶、そして注意持続時間のような認知能力は正常な甲状腺ホルモンレベルに依存しています。いちばん強力な形の甲状腺ホルモンであるT3が本物の脳内化学物質であることを示唆する証拠が山程あります。神経細胞は神経細胞のつなぎ目(シナプス)で、互いに情報の伝達をしているということが発見されました(3)。この甲状腺ホルモンが、セロトニンやノルアドレナリン、およびGABA(ガンマアミノ酪酸)のレベルと作用の制御もしているのです。これらの物質は、今ではうつ病と一部の不安障害の両方に関係する主要な化学伝達物質であると認められています。脳内のセロトニンやノルアドレナリンのレベルを正常に保つことは、適切な量のT3があるかどうかに大きく依存しているのです。動物とヒトで行われた広汎な研究から、研究者は送り出されるT3の量が適切でなければ脳内のセロトニンレベルが下がるという結論を出すに至りました(4)。また、脳内でのT3の欠乏がノルアドレナリンの化学伝達物質としての働きをも悪くする可能性があり(5)、ノルアドレナリンの欠乏あるいは働きの悪さが一部の人では、うつ病の化学的原因であると思われます(6)
T3が脳細胞間に非常に多く集まっているという所見は、T3が正常な気分や行動を維持するために欠かせない脳内化学伝達物質であるという考えの強力な裏付けとなるものです。ここは脳細胞から脳細胞へメッセージを伝えるためにノルアドレナリンのような化学伝達物質が放出されるところです。強力な甲状腺ホルモンであるT3は、気分、感情、また嬉しいことや悲しいことを知覚する脳の領域である辺縁系により多く見付かります。甲状腺ホルモンとその他の重要な脳内化学物質との類似性もまた目を引くものであります。アミノ酸の一つチロシンは、甲状腺ホルモンと脳内化学物質であるノルアドレナリンおよびドーパミンのどちらにも欠かせない成分です。
憂鬱を吹き飛ばせ  
私と家内は、同僚のジムと彼の妻ローレインと一緒にシンフォニーを聞きに行ったことがあります。私はローレインとは数年程会っていませんでした。ローレインに再度紹介されている間、彼女にわずかな甲状腺の肥大、または甲状腺腫があるのを見てびっくりしました。彼女は以前熱心なシンフォニーの愛好者だったのですが、その夜楽しんでいないのは明らかでした。彼女はなかなか笑うことができず、友人から離れて孤立しているように見えました。また私達の会話や音楽にほとんど注意を払っていないようでした。休憩時間中、私の家内とローレインが自分達だけで出て行った時に私はジムにローレインの変わり様に驚いたことを話しました。私はローレインに甲状腺の病気があるのではないかということも言いました。
ジムは誰かに自分の妻が3〜4年前にすっかり変わってしまったことを打ち明ける機会を得てほっとしたように思えました。彼女は太り、とても疲れて眠いことが多く、批判に対して異常な程敏感になりました。ローレインは料理やシンフォニーのような以前は非常な喜びを覚えていた沢山のことを楽しまなくなったようでした。彼女とジムや子供との関係は本当に耐え難いものとなっていました。彼女は自分の問題が精神的なものと思い、6ヶ月か8ヶ月程カウンセリングを受けていましたが、大した変化は見られませんでした。数人の医師が彼女は単に“ストレスにやられている”のだからリラックスする方法を学ぶようにと言いました。ホリスティック医はハーブを処方してくれましたが、他のどれもがそうであったように効き目はないようでした。明らかにこれらの医師はローレインの肥大した甲状腺に注意を払わなかったのです。ローレインは助けを求めて医師のもとへ行く気をすっかりなくしており、これを自分の新しい生活法としてなすがままにしているようでした。
1週間後、ジムがローレインにもう一度だけやってみようという気にさせました。彼女は私の診察を受けに来ましたが、検査の結果、甲状腺機能低下症でした。3ヶ月治療した後、ローレインは驚く程よくなりました。彼女は再び生活を楽しみ始めました。そして体重も増えないようになりました。振り返ってみると、ローレインは非定型型うつ病の症状を伴う甲状腺機能低下症に罹っており、甲状腺ホルモン治療によってそのうつ病の症状はよくなったのです。
非定型型うつ病は不活発な甲状腺を持つ人が経験する慢性うつ病の普通のタイプです。そのような患者はよいことがあると一次的に元気になることがありますが、その回復は短期間である傾向があります。患者は数時間あるいは数日後にもとのうつ状態に戻ってしまうことが多いのです。症状は軽いものからひどいものまであります。このタイプのうつ病では、患者が非難や拒絶に非常に敏感になり、過食傾向、特に炭水化物の過食や過眠傾向を生じます。過食と過眠は非定型型うつ病の重要な特徴です。これは精神科医がこのきわめてありふれたタイプのうつ病と大うつ病との鑑別をする際に役立つものです。大うつ病では不眠と食欲喪失が起こります(7)。非定型型うつ病患者の中には不安発作や普通に働けなくなるほどのひどい倦怠感を経験する者もおります。うつ病と疲労は大抵夕方に悪化します。患者は内向的で陰気に見えることがあります。
非定型型うつ病患者は、その病気が大うつ病に至るまでひどくなることはめったになく、簡単に隠せるため、診断されないままになっていることがよくあります。そのような人は自分がうつ病に罹っているとは思っていない場合があります。時に、どこか悪いところがあることにさえ気付いていない場合もあります。そして自殺を考えることはまずありません。
甲状腺機能低下症はもう一つの慢性うつ病によく見られるタイプの気分変調型うつ病、または“慢性憂うつ症”も引き起こすことがあります。これは、おそらく正常な甲状腺機能を持つ人が経験するいちばん多いタイプのうつ病であると思われます。一般集団の少なくとも6%が生涯の間にこのうつ病に罹ります。患者は気分の変調に苦しみ、大抵の場合抑うつ状態になっています。このような人は落ち込んではいますが働くことはできます。このタイプの慢性うつ病のある人は眠り過ぎる傾向もあります。しかし、食欲は増す場合もあれば減る場合もあります。自分の感じ方に慣れてしまうことが非常に多く、問題があることに気が付かないことさえありえます。気分変調症の人ははっきりしたうつ病の時期を経験することはありませんが、多かれ少なかれ常に抑うつ状態にあります。これは長引くタイプのうつ病です。
気分変調症の診断基準を満たすには、最低2年以上ほとんどいつも抑うつした気分にあり、それと合わせて少なくとも次の中の2つの症状がなければなりません。食欲の変化、不眠、疲労、自尊心の低下、集中力低下、優柔不断、そして絶望感です(8)。2年間、病気であるということは精神病の基準としては受け入れられるかもしれませんが、診断と治療を受けるまで2年間不必要な苦しみを受けなければならないというわけではないのです。これは特にうつ病の原因が甲状腺ホルモンバランスの乱れである場合には本当のことです。
もうおわかりと思いますが、非定型型うつ病と気分変調症には共通する特徴がたくさんあります。慢性の、なかなかよくならないタイプのうつ病ですが、自殺を考えるところまではいきません。しかし、非定型型うつ病での疲労は一般的にずっとひどいものです。さらに、過食は非定型型うつ病の特徴ですが、気分変調症に罹っている人の多くに食欲喪失が見られます。
エリカは40歳の教師ですが、2年間にわたって甲状腺機能低下症の身体症状と共に、気分変調症に苦しんでいました。
彼女が言うには
私はひどく疲れるようになりました。私はただエネルギーを取り戻すだけのため、横になり何時間も眠りました。放課後ちょっと昼寝をし、また夜は早く寝ました。それはまるでストレス軽減のようなものでした。寝るのが大好きでした。でも決してこれで十分だということはありませんでした。
自殺しようと思ったことはありませんが、いつも気分が塞いでいました。時々、1日休みを取りました。誰とも話したくありませんでした。引込み思案になり、めったに家族を訪ねることもしませんでした。仕事が終わって家に帰るとすぐに寝ました。食欲がなくなり、やせてきました。請求書の支払いを心配していました。いつも書き付けておかなればなりませんでした。そうしないと忘れてしまうのです。
一体これから生活はどうなるのかと思いました。将来のことを恐れていました。私の姉に急かされて、心理療法士かかり始めましたが、効果はありませんでした。
ある日、エリカは喉の痛みのため一般医の診察を受けました。その医師は甲状腺腫に気付き、甲状腺機能低下症を疑いました。エリカは検査を受け、甲状腺機能低下症と診断されました。そして彼女のうつ病は甲状腺ホルモン治療で完全によくなったのです。数ヶ月後、エリカはこう言いました。「甲状腺の治療でうつ病とストレスに対処しやすくなりました。前より機敏になったし、以前のように落ち込んでいません。担当の心理療法士とも本当に打ち解けて話せるようになったし、彼女の指示にも従えるようになりました」
エリカの気分変調症の主な原因は不活発な甲状腺でした。甲状腺ホルモンバランスの乱れがあり、気分変調症に罹っている人は疲労やその他の症状があるのに働き続けようとすることが多く、またその疲労をストレスや仕事、いろいろな活動のやり過ぎのせいにすることがよくあります。徐々に、そのような人は打ちのめされたように感じ、自分の手にあまることをしているのではないかと思い始めます。それでも、これは治すことができるのです。そしてすぐに適切な治療を受ければ再び元どおりの自分に戻ったと感じることができるのです。鍵となるのは、甲状腺のことを考え、医師に適切な甲状腺の検査をしてもらうことです。
大うつ病と甲状腺ホルモンバランスの乱れ  
一般的に、甲状腺機能低下症は軽度うつ病か非定型型あるいは気分変調型の慢性のごく軽いうつ病のどちらかを起こすのですが、これらの軽い、長引くタイプのうつ病のある人は大うつ病に移行する危険性が高いのです。この大うつ病はいちばん重症で、しかも最悪の形のうつ病です。多くのケースで、ごくわずかな甲状腺ホルモンバランスの乱れが最終的に大うつ病を引き起こす悪循環の引き金を引くに十分なのです。甲状腺機能低下症に対し、直ちに対処せず、何年も治療せずに放置されていれば、軽いうつ病がひどい断絶感や自殺願望すら持つようになる大うつ病に進んでいく可能性があります。そのような患者では、甲状腺機能低下症に伴う非常な疲労とうつ病が彼らを消耗させ、さらにうつ病がひどくなっていくという終わりのない悪循環の一部となっています。
クリスチーナは34歳の受け付けですが、徐々に悪化するうつ病に罹っていました。彼女は医師が甲状腺機能低下症の診断を下すまでの2年間の苦しみを述べてくれました。「とにかく本当にくたくたに疲れて、職場から家に戻っていました。何もしたくありませんでした。出かけようとか、友人と一緒に過ごそうとかいう気にもなれませんでした。庭仕事や料理、子供の送り迎えなどの毎日の家事をやっとのことでこなしていました。過去2年間というもの、私は9時か9時半には寝ていました。それは子供の方が私より遅くまで起きているという家族のジョークとなっていました」
何ヶ月か経つうちに、クリスチーナはまるで世界から切り離されたように感じ、もはや寝ることもできませんでした。彼女は仕事を辞め、ある日痛み止めを大量に飲んで自殺を図りました。「ただ逃げ出したくて、死んでしまいたかったんです」と彼女は言いました。
重症のうつ病になる前に、クリスチーナは軽い、長引くうつ病の状態にありました。しかし、医師が彼女の甲状腺機能低下症の診断ができず、治療しなかったため、彼女は軽いうつ病から本格的な大うつ病に進んでいったのです。彼女が極度の疲労であがいていたのは、より深刻なうつ病に進行しつつある徴候だったのです。
大うつ病では、患者は自分の周囲からまったく切り離されたようになり、何が起ころうともまったく無関心になります。この断絶間と疲労は午前中の方がひどいのです。普通は不眠症になり、数時間早く目が覚めますが、もう一度眠るということがなかなかできないという場合もあります。その他の特徴は食欲の喪失、食べることに興味を失う、体重減少、そして物事に集中できないことです。大うつ病に罹っている人は人生は生きていくほどの価値はないという考えを持つことが多く、自分自身を責め、助けを求めるだけの値打ちのない人間だと思います。そして、頻繁に死や自殺のことを考え始めます。大うつ病はどの年齢でも不意に起こりうるもので、何ヶ月も経つうちに徐々に悪化していきます。一部のケースでは、患者が現実から遊離し、幻覚(精神病的特徴を持つうつ病)を見るような場合があります。
重症のうつ病患者の甲状腺疾患をスクリーニングした研究者は、その15%以下に不活発な甲状腺があることを見出しました(9)。しかし、特に目を引いたのは、その不活発な甲状腺がひどいものより、むしろ軽いもののの方が多いということでした。
研究では、重症のうつ病で入院している患者の20%近くが橋本甲状腺炎に罹っていることも明らかになりました(10)。大うつ病で治療を受けている相当数の患者には、特に女性で軽度の甲状腺機能低下症があるという事実から、脳内のわずかな甲状腺ホルモンの欠乏がその人を大うつ病に陥らせやすくするという事実が裏付けられます。実際、軽度の甲状腺機能低下症があり、現在大うつ病に罹っていない女性でも、以前1回以上うつ病の症状を経験していることが多いのです。
軽度の甲状腺機能低下症のある16人の女性の精神病歴と正常な甲状腺機能を持つ15人の女性の精神病歴を比較したある研究では、研究した時点でどちらのグループにも大うつ病に罹っている人は一人もおりませんでした(11)。しかし、軽度の甲状腺機能低下症のある女性では56%の人が今までに少なくとも1回大うつ病の症状発現を見ているのに比べ、正常な甲状腺機能のグループでは20%だけでした。この研究では、軽度の甲状腺機能低下症患者でのうつ病の症状発現のほとんどが過去5年間の間に起こっていることもわかりました。これは軽度の甲状腺機能低下症があると、生活の中でストレスが発生した時に、女性が大うつ病になりやすくなる可能性があることを例証するものです。そのような女性では、軽度の甲状腺機能低下症を治すということは大うつ病発生の予防法として見るべきでしょう。
科学者は何年もの間、脳内のほんのわずかな甲状腺ホルモン欠乏(甲状腺の機能がほんのちょっと落ちたことによって起こるように)が大うつ病を悪化させるという事実に興味をそそられてきました。ストレスや気の滅入るような出来事、そして生計が脅かされることなどが認識され、脳内で統合されてそのメッセージが直ちに甲状腺へ伝えられます。そのため、甲状腺はその機能を調節して甲状腺ホルモンの産生を増やすことができるのです(12)
これらの脅威をもたらす出来事により引き起こされた甲状腺ホルモン産生の増加により、ストレスや気の滅入るような出来事、また生計が脅かされることなどへうまく対処できるよう適切な脳内化学作用が維持されるのです。
軽度の甲状腺機能低下症であっても、脳内のセロトニンレベルは下がる傾向があります。脳はセロトニンレベルの低下を脳下垂体に伝えます。このメッセージにより、脳下垂体はもっとたくさんTSHを作るようになります。それにより甲状腺はもっとたくさんの甲状腺ホルモンを作り、放出します。この甲状腺の調節作業がセロトニンレベルを元に戻し、そのため気分がさらにそれ以上落ち込むことがありません。脳内の甲状腺ホルモンは脳細胞のセロトニン産生を増強します(うつ病予防に関する甲状腺ホルモンを役割を図示した添付の図を参照)。
【うつ病予防に関する甲状腺ホルモンの役割】
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しかし、甲状腺の機能が落ちつつあり、脳内化学作用を正常に戻せないかあるいは必要な甲状腺ホルモンを余分に出せない場合、セロトニンレベルは下がり続け、うつ病がさらにひどくなります。これは機能障害を起こした甲状腺がどのようにしてその人のうつ病に対する初期防御システムをだめにしてしまうのかという説明になります。以前大うつ病の病歴がある患者では、大うつ病にさらに罹りやすくなることが、手術で甲状腺を取った後に甲状腺機能低下症になった人に起こる気分障害を評価する研究で見事に示されました。この研究では、以前大うつ病に罹った患者は甲状腺機能低下症になった時にもっともひどい症状が出ることも示されています(13)
29歳のサラのケースを考えてみましょう。彼女は6ヶ月前に婚約し、ものすごく幸せで、わくわくしていました。そして結婚式の準備にかかったところでした。彼女は大きなデパートの販売部長で、クリスマスシーズンが近づくにつれ、仕事はどんどん増えて圧倒されるほどでした。彼女は午後になると疲れを覚えるようになりました。家に帰るとただ座ってテレビを見て、それから寝るということ以外は何もしたくありませんでした。
サラは婚約者とのデートにも興味を失い始めました。結婚式の準備のストレスや仕事の量が増えるにつれ、彼女はすぐにイライラするようになり、発作的に泣き出したり、些細なことで腹を立てるようになりました。次第に、婚約者との関係が悪化し、とうとう結婚式はキャンセルとなってしまいました。サラはその時自分の気持ちを誰にも言いませんでした。これは全部ストレスや仕事の量が多いこと、そして自分がそれらのことすべてに同時に対処できないためだと思っていたのです。
数週間が過ぎ、彼女は大うつ病の状態に陥りました。サラの姉がクリスマスに訪ねて来た時、彼女はサラに精神科医に診てもらわなくてはならないと言い張りました。サラはそうすることにしましたが、それは4年前ひどいうつ病になった経験があるのと明らかなうつ病の家族歴があるためでもありました。
サラは数種類の抗うつ剤を試しましたが、どれも効き目はないようでした。もはや働くこともできず、食べるのを止めてしまい、体重がうんと減りました。そして仕事を首になりそうなところまできたのです。
「記憶に問題がありました。注文やどこに書類を置いたかが覚えられないんです。お客様に折り返し電話をしなかったりしました」と彼女は言いました。このためサラはもっとひどい気持ちになり、自殺願望を持つようになりました。やっと別の精神科医が彼女の甲状腺を検査して、甲状腺機能低下症が見付かりました。抗うつ剤に加え、甲状腺ホルモン治療をした結果、彼女の記憶力は改善され、再び食べるようになりました。彼女の元々の性格である活発さや陽気さが再び現れてきました。彼女のエネルギーレベルは増加し、仕事の成績もよくなり、また気分のむらや怒りも消えました。
サラのケースでは、仕事や結婚に関連したストレスとうつ病になりやすい遺伝的素因が最初にうつ病の引き金を引いた可能性があります。しかし、彼女の甲状腺機能低下症が彼女を大うつ病に移行させやすくしたのです。クリスマスシーズンと結婚式が近づくにつれてストレスがつのってくる間、セロトニンレベルがこれ以上落ちないようにするにはほんのちょっと余分にT3が脳には必要だったのですが、彼女の甲状腺はうまく対処できず、その結果生じた複合的な脳内化学物質のバランスの乱れが大うつ病につながったのです。
甲状腺ホルモンバランスの乱れの診断と治療が大うつ病に陥るのを防ぐ役に立つと思われます。しかし、サラのケースのようにすでにうつ病に罹っている場合、甲状腺ホルモンバランスの乱れを診断して、治療してもらわなければなりません。甲状腺ホルモンバランスの乱れを治さなければ、そのうつ病に対しては従来の抗うつ剤では効き目がありません。研究では大うつ病に罹っており、抗うつ剤に反応しない患者の52%に甲状腺機能低下症があることが示されています(14)。抗うつ剤に加え、医師が甲状腺ホルモン治療を行うと、うつ病が治ってしまうことがよくあります。また、慢性の軽いうつ病に罹っている人で、抗うつ剤に反応しない人の相当数に甲状腺機能低下症があります。それでも、抗うつ剤で治療を受けているうつ病患者の夥しい報告を載せた本が最近出版されたのですが、その本の中では誰一人として甲状腺の検査を受けていないと言っており、またその多くが抗うつ剤に完全に反応していないのです(15)
うつ病に罹っているか、あるいは最近うつ病を経験したのであれば、甲状腺ホルモンバランスの乱れに関する検査をしてもらうべきです。特に他に説明できないような症状があればなおさらです。TSH測定は医師が甲状腺機能を見るために最初に行うべき検査です。時に、TSHレベルが正常な場合で、特に正常範囲の上限にある場合、甲状腺機能を正確に評価するためにサイロトロピン−放出ホルモン刺激検査が必要になります(サイロトロピン−放出ホルモン(TRH)は視床下部で作られ、通常は脳下垂体のTSH分泌を制御しています。この検査やその他の甲状腺検査について、詳しいことは<第14章>をご覧ください)。
TRH刺激検査は静脈からTRHを注射して、血液中のTSHを15分毎に1時間測定するものです。TRHに反応して、TSHが過度に増加するようであれば、TSHレベルの基底値は正常であったとしても軽度の甲状腺機能低下症があることを示すものです。うつ病と甲状腺機能低下症の両方に罹っている患者の約半数で、甲状腺機能低下症がTRH検査で突き止められます<注釈:現在のTSHは高感度でTRH試験をしなくても、甲状腺機能の状態は分かります>(16)
うつ病からの脱出  
うつ病に罹っており、甲状腺機能低下症のある場合、一般的に甲状腺ホルモンバランスの乱れを治せば、うつ病がなくなると思ってよいでしょう。一部のケースでは、うつ病が甲状腺ホルモン治療だけでは完全によくならないことがあります。このようなうつ病はすでに独自のものとして根づいてしまっている可能性があり、別の治療が必要な場合があります。これは特に不活発な甲状腺が長い間、診断されないままであった場合によく起こります。
一般的に、気分変調症や非定型うつ病、あるいは軽度の長引くタイプのうつ病があり、医師が不活発な甲状腺の診断を下したのであれば、まず少なくとも3ヶ月間は不活発な甲状腺の治療を行うべきです。うつ病が適切な甲状腺ホルモン治療でも完全によくならない場合は、医師は選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)のような抗うつ剤を加え、さらに6ヶ月から12ヶ月間治療することになります。もう一つの選択肢はT4/T3の複合剤を使うことです(<第17章>に述べております)。しかし、大うつ病に罹っており、しかも甲状腺機能低下症でもある場合は、直ちに甲状腺ホルモンと抗うつ剤の両方で治療を始めなければなりません。甲状腺ホルモン剤と抗うつ剤で3ヶ月間治療した後に、まだうつ病の症状がある場合は、T4/T3複合剤による治療で解決できる可能性があります。
甲状腺がうまく働き、うつ病も完全に治ったという場合は、12ヶ月後に医師はおそらく従来の抗うつ剤を止めることを考えるでしょう。甲状腺ホルモンレベルは正常であるのに、抗うつ剤を止めた後でうつ病がぶり返してくるような場合は、抗うつ剤による治療を再開すべきです。
不安障害と甲状腺ホルモンバランスの乱れ  
うつ病のケースでもそうですが、不安障害も甲状腺ホルモンバランスの乱れが引き金となったり、あるいはそのために悪化したりすることがあります。国立精神衛生研究所の調査によれば、アメリカの成人の10%が過去6ヶ月内に不安障害に罹っております(17)。生涯の間に成人の27%が不安障害に罹ると見積もられています(18)。いつ調べても、1500万人近くのアメリカ人が不安障害に罹っております。疑いなく、甲状腺ホルモンバランスの乱れがこの一部を占めております。ある研究で、甲状腺疾患が不安障害に罹っている患者の家族に非常に多く見られるということも証明されております(19)。また、一部の人では、不安が甲状腺の活動し過ぎを起こしやすくしているようでもあります(20)
甲状腺ホルモンバランスの乱れによって2つのタイプの不安障害がよく起こります。
  1. 一般的な不安障害:少なくとも6ヶ月間、些細なことに行き過ぎた、大袈裟かつ非現実的な心配をしているもの。
  2. パニック障害: 極度の恐怖を伴う異常な身体的反応の発作が特徴で、身体症状が起きる。
多くはありませんが、甲状腺ホルモンバランスの乱れによって引き起こされることがわかっている不安障害には次のようなものがあります。
  • 対人恐怖症
  • 単一恐怖症(特定のものや状況に対し過度の恐怖を覚えるもの)
  • 強迫行動
  • 外傷後ストレス障害(<第2章>参照)
行き過ぎた非現実的な心配に加え、一般的な不安障害のもっとも典型的な症状は、落ち着きのなさ、過度の警戒感と緊張感、疲労、なかなか集中できない(極端なケースでは考えたり、情報を処理できないという形で現れることがあります)、怒りっぽさ、筋肉の緊張、そして寝付けないあるいは眠れないなどです。
うつ病のケースでもそうですが、不安障害のひどさも様々です。軽い一般的な不安障害のある人の多くは、自分の感じ方に慣れてしまいます。精神的感情的葛藤がその人の生き方になってしまうことがあり、どこか悪いところがあるなどとは疑いもしない場合があります。反対に、そうでない人は症状に圧倒されてしまいます。多くは医療の助けを求め、医師から医師へと苦しみの原因を見つけ出そうと渡り歩く人もおります。
最初に記したように、不安は活動し過ぎの甲状腺に、そしてうつ病は不活発な甲状腺に伴って起きるものと一般に思われておりますが、本当は甲状腺機能低下症がかなりの頻度でひどい不安や時にはパニック発作さえも引き起こすのです。脳内の異常なノルアドレナリンレベルがうつ病だけでなく、パニック発作のような不安障害の基礎にあると思われます。脳のある部位のセロトニン減少とノルアドレナリン活動の増加が呼吸中枢の活動あるいは感受性の増加とあいまって、不安障害の精神的身体的症状を引き起こすのです(21)。ノルアドレナリンの中脳への刺激が、パニック発作中に経験する心臓や呼吸器系への影響の主な原因です。パニック発作に伴う身体的反応は現実のもので、自律神経系により生み出されるものです。活発すぎる甲状腺はノルアドレナリンの活動性を増加させます。これが原因で不安やパニック発作の症状が起こります。不活発な甲状腺は抗不安性を持つ脳内化学物質であるGABAのレベルを下げることがあります。これも甲状腺機能低下症が引き起こしたうつ病に罹っている最中に不安が起こる一因となります。
パニック発作  
<第1章>で説明したように、甲状腺ホルモンバランスの乱れの身体症状は、不安発作が原因で起こる症状と同じです。したがって、医師は甲状腺疾患のある患者を評価する際に、患者が経験していることは甲状腺ホルモンバランスの乱れではなくむしろ不安障害のために起こったものだと信じる場合があると思われます。
パニック発作の症状の中でいちばん多く見られるものは
  • 心臓がドキドキする。
  • 心拍が早くなる。
  • 汗をかく。
  • 振戦または震え
  • 息が切れる感覚
  • 息が詰まる感じがする。
  • 胸の痛みまたは不快感
  • 吐き気
  • めまい、浮遊感、ふらつきまたは気が遠くなる感じ
  • 非現実感または自分が切り離された感じ
  • コントロールを失いつつあるという恐怖
  • 死にそうだという恐怖
  • しびれまたはちくちくする感じ
  • 寒気またはほてり
患者が初めてパニック発作を経験した時には、病院の救急室にいくことが多いのです。これは頻脈と呼吸困難、めまい、そしてその他の症状が心臓発作あるいは他の心臓病とよく似ていることがあるためで、甲状腺ホルモンバランスの乱れがある人を含み、パニック発作がある人は繰り返し、費用のかかる循環器や神経学的な診査を受けることがあります。パニック障害の基準を満たすために、1回以上のパニック発作を起こしたことが必要であるかどうかはまだ議論の余地があります。1回だけでもパニック発作を起こした人は、次の発作が起こるのを恐れます。アメリカ人のほぼ30%が生涯に少なくとも1回はパニック発作を起こすと見積もられています(22)
医師が患者の症状が現実のものではないとか、“頭の中”にあるものだとかということをほのめかすことが非常に多いのですが、たった今心臓が早鐘のように打ったり、手足にちくちくする痛みを感じたり、めまいや吐き気をおぼえたばかりの人にとっては、こんなことは何の助けにもなりません。
パニック発作が再発した時、予期不安−いつ次の発作が起きるだろうと過剰に心配することが起こります。そのような人はすぐに抜け出すことのできない場所や状況に身を置くことを恐れるようになることがあります。というのは、いつ何時、医学上大変なことが起きるか、あるいは死ぬかもしれないと恐れるからです。発作と発作の恐怖の悪循環が罹患者をまいらせてしまい、医師から医師へ、専門医から専門医へと渡り歩くことになります。それでもいつも同じ答えしか返ってきません。「体にはどこも悪いところはありませんよ」これがさらに患者を困惑させるのです。自分の症状が現実のものであることが分かっているからです。
あなたが不安障害に罹っている可能性があるかどうかを確かめる簡単な方法は、次のアンケートに答えることです。答えが「いいえ」であれば次に進んでください。答えが「はい」であれば次の質問に進む前にその症状のひどさに応じて点数を付けてください。[軽い=1][中程度=2][ひどい=3]
時々静かに呼吸をすることが困難になったことがありますか? はい・いいえ 1・2・3
何か悪いことが起こるような気がしたことがありますか? はい・いいえ 1・2・3
いつも緊張しているように感じますか? はい・いいえ 1・2・3
時々はっきりした理由がないのに腕や足が震えているような感じがしますか? はい・いいえ 1・2・3
落着かなく感じ、じっと座っていることができませんか? はい・いいえ 1・2・3
なかなか寝付けなかったり、夜中に度々目が覚めることがありますか? はい・いいえ 1・2・3
些細なことでもうんと心配しますか? はい・いいえ 1・2・3
今すぐ物事をしなくてはならないように感じますか? はい・いいえ 1・2・3
発作的に心臓がドキドキしたり、脈が速くなったり、汗をかいたりしたことがありますか? はい・いいえ 1・2・3
発作的に震えが来たり、息切れがしたり、息がつまるような感じになったことがありますか? はい・いいえ 1・2・3
発作的に胸に痛みをおぼえたり、吐き気や浮遊感、ふらつきが出たことがありますか? はい・いいえ 1・2・3
世界が現実のものではないと突然感じたことがありますか? はい・いいえ 1・2・3
死ぬことを非常に恐れていますか? はい・いいえ 1・2・3
説明のつかないしびれやちくちくした痛み、寒気またはほてりを経験したことがありますか? はい・いいえ 1・2・3
  総点数   ・    12
先の質問に3つ以上「はい」と答えた人は不安障害に罹っている可能性があります。5つ以上の質問に「はい」と答えた人はおそらく不安障害に罹っていると思われます。
ではそれぞれの症状の点数を足して、総点数を出してください。その意味は【うつ病/不安の重篤度】の表に説明しております。この総点数は後で治療への反応を評価する際に役立ちます。
 気分変動障害と甲状腺ホルモンバランスの乱れ 
生まれた時から、すべての人間には何週間、何ヶ月間という期間にわたってというだけでなく、その日の内にも気分の変動が起こります。しかし、これらの変動は正常範囲にとどまっており、私共はそれに適応しています。正常な気分の高揚内では、ちょっとしたニュースや出来事があなたをいつになく幸せな気分にするかもしれません。正常な範囲内で気分が落ち込んでいる時に同じニュースや出来事が起これば、あなたはほんのちょっとしか幸せを感じないでしょう。同様に、悪い知らせあるいはちょっと幻滅するようなことが、正常な気分の落ち込み時に起きた場合、あなたを非常に悲しくさせることがあります。しかし、正常な気分の高揚時にはさほどの影響はないでしょう。これが“健康な”気分の変動です。
気分に関しては、ほとんどの生物学的変数がそうであるように、正常と異常の間にグレーゾーンがあります。生物精神科医は“異常な”気分変動を、正常な場合は気分の変動を許容できる範囲内に維持している調節生化学メカニズムの欠陥のためであるとみています。気分を正常と考えられる範囲内に収めるという働きは、セロトニンやノルアドレナリンを含む数種類の脳内化学物質により厳格に制御されています。
脳内の甲状腺ホルモンのバランスも気分の安定を維持するのに欠かせないものです。甲状腺の機能障害が原因で、甲状腺ホルモンの欠乏または過剰が起これば、明確な躁うつ病さえも出ることがあります。不活発な甲状腺のある患者においては、軽度の甲状腺機能低下症患者であっても、1日の間に不意に抑うつ気分が生じ、何時間も続くことがあります。もっとひどい甲状腺機能低下症は、判断力の低下と幻覚を伴う躁うつ病を引き起こすとさえ言われてきました。しかし、医師はそのような患者には甲状腺機能低下症によってさらにひどくなるような軽いタイプの躁うつ病が以前からあったかどうか判断に苦しむことがあります。
甲状腺機能亢進症も、以前から気分障害のなかった人に気分変動を引き起こすことがあります。一部の人では、活発すぎる甲状腺のため、気分の高揚が中程度(軽躁病には大きな行動障害はありません)であるか、ひどいもの(躁病には不合理な行動を伴います)であるかによって“軽躁病”あるいは“躁病”と呼ばれる気分の高揚が起きることがあります。中には、甲状腺疾患が原因の気分変動障害が発症して数年後にやっと甲状腺疾患が診断されるという患者もおります。
一般的に、あなたが躁うつ病に罹っているのであれば、甲状腺疾患のある確率ははるかに高くなります。精神科医は、躁うつ病患者には一般集団に比べ甲状腺機能低下症の人がはるかに多いということに何年も前から気が付いておりました(23)。この甲状腺ホルモン欠乏の原因は必ずしも明らかでありませんが、一つのファクターは躁うつ病患者はリチウムという化学元素で治療を受けることが多いということです。リチウムは最初に気分安定剤として認められた物質の一つですが、それ以来甲状腺の活動を減少させることが明らかになりました。
オランダで多数の精神科の患者で行われた研究では、短周期性双極性(気分変動)疾患と自己免疫性甲状腺疾患の間に明白な関連性があることがわかりました(24)。なぜこのようなつながりがあるかについては、もっと研究が必要です。女性は、甲状腺に対する免疫攻撃がある場合、リチウムで治療されていなくても、気分変動障害やうつ病に罹りやすい素因があるようです。これらの患者では免疫系が大脳辺縁系に影響を与え、気分や感情に変化をもたらすような物質を作り出すのか、あるいは甲状腺の抗体の一部が脳血管関門を通過して大脳辺縁系に影響を与えるのでしょうか。おそらく甲状腺ホルモンバランスの乱れだけでなく、免疫ファクターも躁うつ病の原因になっていると思われます。
医師はたくさんの気分変動障害のある患者を甲状腺の病気が見付かった時にしか診断しておりません。これは甲状腺ホルモンバランスの乱れが重なることで、気分変動に相当の悪影響が出るためです。これらの影響を考慮しない精神科医や甲状腺疾患専門医はこのような患者の治療で最適な結果を得るのが難しいかもしれません。
甲状腺機能低下症によって起こる形を変えた気分変動障害の中でいちばんよく見られるものは、重症のうつ病へ急激に進むことと、なかなか気分が上向かないということです。気分変動障害がある上に、甲状腺機能低下症まで重なると、その人のうつ病がよりはっきり現れ、同時に現実から遊離してしまうことがあります。この時点で家族が精神科医の助けを求めることが非常に多いのです。
甲状腺ホルモンバランスの乱れはもう一つ別に、患者が罹る気分変動の種類に対して重要な影響を及ぼします。躁うつ病に罹っている人の約10〜15%は周期の移り変わりが早くなっており、うつ病から躁病への変化がかなり頻繁に起こります─1年に4周期以上。
躁うつ病の変動がそれほど頻繁に起こらない患者が甲状腺機能低下症になると周期の短いパターンに変わることがあります。気分変動障害は男女ともほぼ同じ頻度で起こりますが、女性には短周期型の方が多く見られます。これはある程度、甲状腺機能低下症が同時に存在することに関係しています。実際に、従来の双極性疾患の治療に反応しない、短周期型の患者の約半数が甲状腺機能低下症です。軽い気分変動障害のある患者の中には、甲状腺機能が正常な時には高揚時と抑うつ時の変化が小さく、なかなかわからないのに、ひどい甲状腺ホルモンバランスの乱れがある時にはもっとはっきりした躁うつ病(明確な双極性疾患)となる人がいます。
ティーンエージャーの行動に注意  
躁うつ病は、橋本甲状腺炎や甲状腺機能低下症と同じように、若い時に起こる頻度が高いのです。行動の変化をもたらすような気分の不安定性を見せはじめたティーンエージャーは、“年齢的な問題”と考えられたり、あるいは薬物使用の問題があるのではと疑われることが非常に多いのです。ある女性の娘であるレスリーは、躁うつ病と甲状腺機能低下症に冒され、著しい行動の変化が現れました。
彼女の母親はこう言っています。
あらゆる症状が出始めた時、態度の問題として現れてきました。それがひどくなるまでは、12歳という年齢であること、生理が始まったこと、そしてティーンエージャーの年代に足を踏み入れたことなどのためだと考えていました。躁うつ病のあるティーンエージャーはたくさん寝る場合がありますが、それは多くのティーンエージャーがそうです。彼女は学校でも問題になっていました。先生が学校で突然、激高するし、これはまったく彼女の性格からは考えられないことだというノートを送ってきました。
まるで見知らぬ何かが彼女の体に入り込んだみたいでした。レスリーは毎日泣いていました。そして前は絶対したことのないようなわけのわからないことをし始めたのです。彼女は酸を飲みました。私はもしこんなことが続けば、健康を取り戻す前に自殺してしまうのではないかということがわかったのです。
甲状腺ホルモン治療とリチウムで、レスリーのエネルギーレベルや態度、集中力は大きく改善しました。彼女の気分も安定してきました。それからというもの、母親は甲状腺ホルモンバランスの乱れが早い周期の気分変動の引き金になることを恐れ、毎日レスリーが甲状腺ホルモン剤を飲んだか確かめ、頻繁に(おそらくちょっとやり過ぎかもしれませんが)甲状腺の検査を受けさせるようになったのです。
甲状腺ホルモンバランスの乱れと循環気質の軽い気分変動  
循環気質とは、軽度のうつ病の時期からわずかに高揚した時期への移り変わりが特徴の長く続く病気で、思春期後半に始まることが多いのです。気分の移り変わりは非常に早く、2〜3日毎に高揚から抑うつへと移行することがあります。時には、一つのタイプの気分がもう一つの方より長く続きます。その場合、抑うつ気分の方が目に付きやすいことが多く、間欠的抑うつ気分として記載されることもあります。あなたが循環気質に罹っている場合、甲状腺が不活発であればなかなか気分が上向きにならず、そのため慢性的な軽いうつ病になるかもしれません。あるいは、幸せな気分から抑うつした気分へと絶えず移り変わるようになるかもしれません。
活動し過ぎの甲状腺によっても気分変動がより明白で、しかもひどいものになることがあります。たとえあなたが循環気質に罹ったことがない場合でも、甲状腺ホルモンバランスの乱れによって、循環気質と同じような気分変動パターンが引き起こされることがあります。
37歳のエブリンは15年前に甲状腺機能低下症の診断を受けました。甲状腺ホルモン剤の量も安定しており、状態もよく、今までに気分障害になったことはありませんでした。2年前、かかりつけの一般医が軽率にも彼女に出す甲状腺ホルモンの量を半分に減らしたのです。その結果、彼女は甲状腺機能低下症になりました。また、はっきり目に付くほどの気分の変動も出始めました。この変動は循環気質と同じようなパターンでした。
エブリンが言うところによれば
3日か4日の間、私は物事を素早く決めることができました。自信もそこにあったのです。私は誰にも私が何かできないなんて言わせませんでした。私は頂点に立ったような気分でした。様々な創造的なプロジェクトや活動をすることになっていました。
その3日後、次に私は何もしたくなくなりました。夕食に何を作るか考え出すのにも非常な困難をおぼえました。ブリッジをした時、集中することができず、いつのまにか自分の番が来るという具合でした。
エブリンの甲状腺ホルモン剤の量を合わせてから3ヶ月後、彼女の気分変動はなくなりました。
気分変動障害のある患者のほとんどに対して行う気分を安定させる治療は、脳が正常な量の甲状腺ホルモンを受け取っていない場合、効き目がありません。したがって、甲状腺機能低下症も同時にある気分変動症の患者はより治療が難しいと思われます。これはうつ病で患者が薬をちゃんと飲まないためということもあります。気分変動のある患者の家族は、困難なサイクルを避けるため、甲状腺ホルモン剤がきちんと飲まれているかを確かめなければなりません。うつ病期の間、アルコールの濫用によって自己無視のパターンが付け加わることがあります。さらに悪いことに、アルコールが甲状腺機能低下症の脳にさらに大きな影響を与えるのです。
 不必要な苦しみは終わりにしよう 
この章では、新しい発見が如何に甲状腺疾患の理解を深めるか、特に甲状腺ホルモンバランスの乱れが如何に脳に悪影響を与えるかについて述べてきました。
このような進歩により、内分泌病専門医と神経科学者は甲状腺ホルモンに以前より注目するようになりました。なぜなら、それは非常に重要な脳内化学物質の成分であるからです。残念ながら、甲状腺ホルモンバランスの乱れは診断されないままでいることがあるため、精神的な問題を経験している人が適切な治療を受けていない可能性があります。
精神的な痛みに対する治療法の発見では内分泌学の見事な進歩がありましたが、脳内化学物質のバランスの乱れの主な解決法としての抗うつ剤の使用、−おそらく使い過ぎにより影が薄くなってしまいました。それでも、内分泌学の研究は有望な新しい最前線に到達しています。精神や感情への甲状腺ホルモンバランスの乱れの影響をもうすぐ治すことができるところまで来ています。
医師は甲状腺ホルモンが作用するプロセスをあと少しで完全に理解するところにいます。精神薬理学と内分泌学はその学問分野が次第に近付きつつあり、脳と密接に関連した甲状腺の治療ほど大事なものはありません。甲状腺ホルモンは次のミレニアム(世紀)のセロトニンとさえなるかもしれません<注釈:もう21世紀になっています>。
覚えておくべき重要なポイント
甲状腺ホルモンバランスの乱れの精神的、感情的影響には躁うつ病のような重大な病気も含まれる場合がある。しかしほとんどの場合、軽いうつ病のように症状はより軽く、境界型あるいは影の症候群に特有なものである。
甲状腺ホルモンバランスの乱れは、軽い気分障害や感情的問題のある人の症状をひどくする。
甲状腺機能低下症の人の症状がうつ病の基準を完全に満たしていない場合であっても、最初疲労として現れる境界型のうつ病が出ている可能性がある。
軽度の甲状腺機能低下症のある女性は、はっきりしたうつ病の症状がなくても、甲状腺ホルモンを飲むことで気分がよくなることがある。
今では科学者が甲状腺ホルモンをセロトニンのような気分、感情そして行動に顕著な影響力を持つ主要な脳内生化学物質と認識している。
今、うつ病に罹っているかあるいは少し前にうつ病があった場合、特にその他の甲状腺ホルモンバランスの乱れの症状がある場合は甲状腺ホルモンバランスの乱れの検査を受けるべきである。
参考文献
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