情報源 > 書籍の翻訳[D]甲状腺の悩みに答える本
<第1部・第1章>
第1部<第1章>
甲状腺ホルモンバランスの乱れ: 隠れた流行病
活動し過ぎ、あるいは不活発な甲状腺になっていて、それに全然気付かないというようなことがあるのでしょうか。実は、何百万人ものアメリカ人がそうなのです。そのうち更年期や前更年期(更年期になる前の10年程の期間で、その間にホルモンや感情、身体上の変化が始まる)の女性が高い割合を占めています。甲状腺ホルモンバランスの乱れに簡単に気付くとは限りません。ごく最近になって、医師がほんの些細な甲状腺ホルモンバランスの乱れが精神的、身体的健康に重要な影響力を持っているということをやっと認識し始めたのです。
次のような症状がありますか。
  • いつも疲労がある、あるいは消耗した状態にある。
  • いらいらして短気である。
  • とても暑い、または寒いと感じる。
  • 抑鬱感や不安、あるいはパニック状態がある。
  • 皮膚や髪の変化に悩んでいる。
  • 自分の気分に支配される。
  • 理由なく太った、またはやせた。
  • 生きる意欲が失われた。
  • よく眠れない、あるいは不眠症である。
数ヶ月間、エネルギーが有り余っているような振りをして、燃え尽きたように感じていませんか?落ち着きがなかったり、忘れっぽかったり、友人や家族と疎遠になったように感じていませんか?人があなたに向かって変わってしまったと言いますか?軽いうつ病で、プロザック<注釈:抗うつ剤の商品名>、またはその類の薬を飲んでいるのに、まだ精神や気分が本調子でないと感じていませんか?あるいは、過去5年間に強度のうつ病で治療を受けたことがありますか?
これらの症状の1つ以上がある場合、またはこれらの質問の1つ以上にはいと答えるようであれば、未診断の甲状腺疾患に罹っている多くの人の一人である可能性があります。これらの質問のいくつかは矛盾しているようにみえますが、そのすべてが甲状腺ホルモンバランスの乱れを示すものです。
また、甲状腺ホルモンバランスの乱れに対する治療を受けたのに、まだその影響のなごりに苦しんでいる多くの人の一人である可能性もあります。このような影響は見逃されることが多く、治療で甲状腺ホルモンレベルが正常になったと思われる後でさえ、付きまとうことがあります。甲状腺ホルモンバランスの乱れで治療を受けたことのある人は、次の質問に答えてください。
  • 気分は良くなったが、まだ完全に元どおりではないと感じていますか?
  • 異常な怒りの爆発がありますか?
  • 以前に比べ、付き合いで出かけることが少なくなっていますか?
  • 家族や友人のちょっとした欠点に我慢できなくなりましたか?
  • 時々軽いうつ状態に陥ることがありますか?
  • 記憶がないことがよくありますか?
  • していることに集中できないことが多いですか?
  • 自分の暦の年齢より年取っていると感じますか?
過去に甲状腺の病気の治療を受けているのに、まだこれらの質問の一つ以上にはいと答えるようであれば、その症状が甲状腺に関係している可能性がきわめて高いのです。これ以上悩む必要はありません。この『甲状腺の悩みに答える本』を読めば、このような長引く症状を治すために、どのように医師と協力すればよいかがわかります。
甲状腺と精神  
アメリカ合衆国では、いつ調べても2,000万人以上の人が甲状腺疾患に罹っており、1,000万人以上の女性に軽度の甲状腺ホルモンバランスの乱れがあり、また800万人近くの人が甲状腺ホルモンバランスの乱れの診断がなされないままになっております。
毎年、甲状腺ホルモンバランスの乱れの新しい症例が50万例程生じております(1)。この人達はすべて、診断を受けた後であっても長期間、精神的にも感情的にも影響を受けやすくなっています。間違った、あるいは不適切な治療により、このような人達の何百万人もが不必要な苦しみを受けることになります。しかし、それは数にすぎません。この数の背後には、生身の人間が経験している症状や破滅的な精神への影響があるのです。
1990年代には、一見健康だと思われる人達の中で、以前は疑われることのなかった甲状腺疾患が認められたり、見付かることが増えてきました。これは、一部には感度の高い甲状腺疾患のスクリーニングや診断方法の開発につながった医療技術の改善によるものです。また、長いこと診断されないままであったり、軽度の甲状腺機能障害であっても健康に悪影響を与えるおそれがある甲状腺疾患に対する一般の意識が高まったことにもよります(2)。最近、アメリカ臨床内分泌病専門医会のような医療関係者団体の一部が、ちょうどコレステロール検査が商店街やその他の公共の場所で受けられるのと同じように、甲状腺疾患の一般スクリーニングを始めました。どの時点で調べても、軽度の甲状腺機能低下症のある患者集団の半分以上が診断されないままになっております。最近私がヒューストン地区で指揮をとり2,000人近くの人に行った甲状腺疾患スクリーニングプログラム(3)では、検査を受けた人の8%に不活発な甲状腺がありました。スクリーニングを受けた人の多くは、甲状腺など聞いた事もなかったのですが、自分が悩んでいる症状の多くがスクリーニングのお知らせのところに挙げてあるのに気付いた時、慌てて検査を受けに来たのです。甲状腺疾患に対する一般の意識は、元大統領のジョージ・ブッシュ氏とバーバラ夫人、ロシアの大統領ボリス・エリツィン氏、そしてオリンピック陸上競技のチャンピオンであるゲイル・ディーバースが甲状腺の病気の診断を受けた際の新聞報道により、一気に高まりました。このようなことのおかげで、診断のつかない不定愁訴を持つ人が、医師にその症状が未診断の甲状腺疾患に関連したものかどうか聞くことが多くなってくると思われます。
主に甲状腺疾患の研究や教育、患者のケアに携わってきた内分泌病専門医として、私は臨床を通じて、甲状腺疾患患者のケアは思っていたほど簡単ではないという事に早くから気付いておりました。薬で甲状腺の病気を治療して治しても、必ずしも患者は完全によくなったと感じるわけではありません。自分の患者を十分に治療し、完全に治るようにするためには、体だけでなく、気持ちの治療も必要だということがわかりました。検査では治ったという結果が出たとしても、患者がよくなったと感じなければ、患者の言うことを聞き、信じて、一緒に協力して完全によくなるよう手助けをしなければならないことがわかったのです。甲状腺疾患患者のケアを行うにあたって、医師の役割は単に身体的悩みに対処し、甲状腺の検査をし、血液検査が正常であること(体内を巡っている様々な甲状腺ホルモンの量がちょうどよいことを示す)を確かめるだけではありません。精神に対する甲状腺疾患の影響に対処し、患者が病気と折り合いを付けられるよう手助けをし、心から相談にのってあげることも同じくらい大切なことです。
多くの医師が機能障害を起こした甲状腺の治療をしていますが、甲状腺にくっついている人間の言うことを聞く人はほとんどおりません。血液検査のレベルにだけ注意を向けているのです。このような医師にとっては、検査結果で患者の状態が安定したようだということがわかれば、そのケースはお終いなのです。それでも、多くの患者が甲状腺ホルモンバランスの乱れのなごりによる、様々な症状に何年にもわたって苦しみ続けるのです。最近私の勤務する病院の内分泌病外来患者に対して行われた調査では、不活発な甲状腺のある患者のほぼ3分の1で、血液中の甲状腺ホルモンレベルが正常になった後も症状が続いていることが明らかになりました。医師は、まだ苦しみが続いている患者をその精神的な影響がなくなるまで新しいプロトコールで治療するべきです。しかし、今の現状では医師が甲状腺機能障害を病気そのものではなく、単なる身体的疾患として治療し続けている間に、何百万人もの患者が不必要な苦しみを受けているのです。
一般的に、初期医療を担当する医師は甲状腺疾患の検知や管理を行うだけの適切なトレーニングを受けておらず、広い範囲にまたがる甲状腺疾患の診断や治療に必要な専門知識が欠けている場合があります(4)。また、そのような医師は甲状腺疾患が精神的健康に及ぼす影響、あるいは精神と甲状腺との間の相互作用についてもほとんど教えられておりません。
開業している内科医や家庭医の大多数は内分泌病科へ回される(または研修期間)ことなしに実習を終えております。多くの医師は甲状腺疾患の知識が不十分まま、そしてこれらの疾患の診断や治療に十分な経験を積まないままトレーニングプログラムを終えております。内分泌病専門医としてのトレーニングを受けた医師は、甲状腺の病気は皆が考えている以上に一般的な疾患であり、医学的にややこしい病気の一部でもあるということを認識しております。
最近、私は間もなく内科のトレーニングを終える実習生数人と話をしましたが、彼らは内分泌病科の2ヶ月のローテーション(外来も含む)を終えたばかりでもありました。初期治療の診療を始めるばかりであった一人の優れた実習生が、実習生に対する甲状腺疾患の診断や治療のトレーニングは不十分であると指摘しました。彼はこう打ち明けたのです。
「外来に出る前の3年間のトレーニング期間中、甲状腺疾患患者をあまり診ることはありませんでした。私が覚えている患者は急性の甲状腺疾患で病院に入院してきた患者か、甲状腺疾患と関連があることがわかっている病気の患者です。これらのケースでは、徴候や症状がはっきりしているので診断は簡単につきました。しかし、外来であっても我々実習生が甲状腺疾患の些細な徴候を捜すというようなことはめったになかったのです」
甲状腺疾患の身体的、精神的症状のどちらも他の多くの病気の症状と紛らわしいため、正しい診断を下すのに長い時間がかかることがあります。症状が誤診され、誤った治療を受けることも多いのです。患者が自分のことをちゃんと診てくれる医師を見つけるまで、うつ病や困った個人的行動の変化まで含めた破滅的影響にたった一人で対処しなければなりません。経験が浅く、十分なトレーニングを受けていない医師は、患者が自分の症状を訴えた時、患者に自分がおかしいのだとか、心気症なのだと思わせてしまうことが時々あります。そのような医師はおそらく、血液検査や適切な投薬、そして問題への対処の仕方のカウンセリングをする代りに抗鬱剤を患者に与えると思われます。女性の甲状腺機能低下症患者は、甲状腺ホルモン剤の代りにエストロゲンを投与される可能性があります。男性や女性の患者が本当に必要なものは、正しい投薬プログラムとカウンセリングです。甲状腺ホルモンバランスの乱れは速やかに破壊的な脳の化学作用の障害に発展し得るものです。うつ病や不安障害、あるいは躁うつ病と同じくらい強力で頑固な障害となり得るのです。
甲状腺疾患のため、脳が甲状腺ホルモンを受け付けなくなったり、過剰に供給された場合、その回復には長い時間がかかります。症状を無視すると、さらにひどくなることがあります。ここから患者が落ち込む、甲状腺の病気が悪化する、身体的感情的に様々な影響が出る、そしてさらに精神状態が悪くなるというひどい悪循環が起こってきます。この悪循環はひろく理解、あるいは認知されていません。そして多くの医師がこの悪循環をストップさせることが如何に重要であるかを知らないのです。あるいは、実際にどうやってストップさせるのか知らないのです。
どのようにしてこのような悲しいことが起きるのかを理解するために、甲状腺の概念と甲状腺機能の知識が過去100年間にどのように進化してきたかを見ることが役立つでしょう。
甲状腺の見方の変化  
スイスの芸術家であるアーノルド・ベックリン(1827〜1901)はずいぶん沈み込んでいるように見える女性の肖像画を描いています。絵に描かれた女性の顔に笑みはなく、生気がありません。そして目はあらぬ方向を向いています。しかし、いちばん印象的なのは首の前のところが腫れている彼女の外見です。この腫れはとても目立つものだったので、ベックリンはそれに注目し、色と光で表現してしています。素人として、彼は彼女に何か病気があり、沈み込んでいることには気付いていましたが、彼女の身体と精神状態を結び付けていたのかということは疑わしいのです。というのは医師や精神科医でさえ、19世紀後半になるまでこのつながりの本当の意味を理解していなかったからです。事実、卵が先かニワトリが先かという状態であったのです。医療専門家は気分障害や感情的問題が甲状腺の病気の結果起こるのか、甲状腺疾患の原因であるのかわからなかったのです。
甲状腺が代謝を司る役割を果たしていることが明らかにされる前でも、甲状腺は“感情の内分泌腺”と認識されていました。実際、甲状腺と精神の間の関係は、何年もの間、単に解剖学的知識に基づいて考えられていたのです。甲状腺は物理的に脳に近いところにあります。甲状腺は脳を加熱から守るものと考えられていました。人が腹を立てると、脳に流れ込む血液が増えて脳が加熱することがあると思われていたからです。ロバート・グレーブス博士は、現在グレーブス病(バセドウ病)として知られているものの特徴を初めて記載した人です。彼の『女性の間に新しく観察された甲状腺の疾患』(5)の記載では、神経系の症状に焦点をあて、ヒステリー球という言葉を使っています。これは彼の患者が様々な精神症状を呈したからです。カラブ・パリー博士はグレーブス博士より前にこの病気に気付いていましたが、彼の観察を発表する前に死んでしまいました。彼はこう書いています。「これらの患者の一人以上で、頭の病がひどくなりほとんど気が狂っているといってよいほどになっていた」(6)
何十年もの間、実際にグレーブス病(バセドウ病)は本当の甲状腺疾患ではなく、精神病だと考えられていました。初期のレッテルである“具体化した恐怖”とは、この病気が心理的外傷に引き続いて起こるある種の精神病であると見られていたことを表わすものです。この病気の身体的症状に焦点を当てた最初の医師達の中にバロン・カール・アドルフ・フォン・バセドウ博士がおります。1840年に、彼は飛び出した目や甲状腺腫、頻脈を伴う4人の患者を記載しました。彼は最初に【前脛骨粘液水腫】を記載した人でもあります。これはグレーブス病(バセドウ病)の患者のごく一部に起こる下肢の茶色がかった腫れのことです。グレーブス病という言葉は英語圏で主に使われておりますが、フォン・バセドウ病という言葉はドイツやそれ以外のヨーロッパ、アフリカ諸国で使われております<注釈:日本でもバセドウ病という病名が使われています>。
グレーブス博士の観察からほぼ半世紀経って、イギリスのウィリアム・ガル博士(7)が不活発な甲状腺により引き起こされる身体的、精神的変化を初めて記載しました。彼の論文では、甲状腺機能低下症の影響の中に、重篤な精神の働きの低下につながる著しい精神的変化があることを示唆しております。それ以来、甲状腺の主な機能が甲状腺ホルモンを作り出すことであり、それが体の機能を司ると同時に、気分や感情、およびその他の多くの脳機能を司る本物の脳内化学成分であることが明らかとなってきました。今では、医師は長いこと謎に包まれていたこの甲状腺−精神のつながりの基本が、体内を巡っている甲状腺ホルモンが足りないか、多すぎることに少なくとも部分的に関連があるのだと理解するようになってきました。甲状腺ホルモンバランスの乱れがある患者は、皮膚の問題や不整脈、心不全、高血圧、筋機能障害、および消化器系の乱れのような身体的影響を経験することがあります。甲状腺ホルモンは代謝速度を司っており、ほとんどの人が甲状腺ホルモンバランスの乱れと体重の問題を結び付けて考えるほど、この概念は広く知れ渡っております。それでもなお、多くの人にとって、甲状腺ホルモンバランスの乱れによって起こる感情や気分に関連した症状の方が、身体的症状より激烈なのです。
奇妙なことに、19世紀の医師はこのような精神症状を最初に記載し、その重要性を証明したのですが、甲状腺疾患患者を治療している現代の医師の多くは、甲状腺疾患を単なる身体的症状を伴う分泌腺の病気だと見る傾向があります。
 甲状腺ホルモンバランスの乱れが疑われないことが非常に多い理由 
機能障害のある甲状腺を持つ患者は初期医療を担当する医師の元へ行き、身体的、感情的双方をずらりと列挙して述べることが多いのです。医師はこの苦痛の元を見付け、治療で症状を和らげることを期待されます。しかし、初期医療担当の医師には身体的、感情的症状が組み合わさって出る病気に対処するだけの時間も、専門知識もない場合があります。患者が疲労や怒りのような症状を述べると、多くの医師はストレスや不安、あるいはうつ病の診断の間を行ったり来たりする羽目になります。
医師が甲状腺疾患患者に正しい診断を下した場合でも、その病気や症状についての適切な情報を患者にうまく伝えないことが多いのです。多くの医師が甲状腺ホルモンバランスの乱れの結果起こる身体的、精神的影響の重大さを過小評価するため、患者は精神的に苦しみ続けることがあります。患者は 忘れっぽさや気分の浮き沈みのような“大したものではない”ことについて“あまりたくさんの質問”をすることで、子供扱いされたり、馬鹿にされたりすることがあります。その結果、患者は自分が孤立しており、誤解されていることがわかるのです。
相当の割合の人が様々な程度の疲労(8)や人生への興味が失われたこと、および体重の問題を訴えることから、医師の中には甲状腺機能低下症の症状の重要性を認識している人もおります。甲状腺機能低下症や甲状腺機能亢進症の症状は知らぬ間に始まるだけでなく、様々な体の器官にも起こってくることがあります。甲状腺疾患の身体的症状が目立つ場合、医師は全身のバランスの乱れや潜行している病気を探す代りに、特定の器官、または関連する器官に注意を向けることがあります。初期医療担当の医師は、その症状が甲状腺疾患を強くうかがわせるものである場合にのみ、検査を行うことがあります。
では、医師が甲状腺ホルモンバランスの乱れを誤診する主な理由を見てみましょう。
ストレスや不安、疲れ、およびその他の感情的あるいは精神的状態が甲状腺ホルモンバランスの乱れを覆い隠す場合があります。
あなたの甲状腺疾患を突き止め、治療する医師は、ほとんどの気分障害を見付けたり、治療する医師と同じであるのが普通です。うつ病は一般診療でもっとも多く見られる病気です(9)。研究者は、常に人口の10%がうつ病に罹っていると見積もっています。生涯にわたってみれば、その罹患率は17%にものぼると思われます(10)。精神の健康に問題のある患者のほとんどは、精神科医よりむしろ初期医療担当の医師に助けを求めています(11)。これらの医師はごく軽度の精神障害の評価や検知、および管理をするトレーニングを受けていないか、不十分なトレーニングしか受けていません。健康管理組織の医師は、明白なうつ病患者の50%以下しか正確な診断を下していないのです(12)。うつ病だと正しく診断された人の中でさえ、十分な時間をかけて適切な治療を受けている人はごく一部にしか過ぎません(13)
医師のトレーニング期間中、精神病に接するのは主に救急室であり、病院の病棟ではそれより頻度が少なくなります。しかし、彼らは事実上精神科外来での正式なトレーニングを受けておりません。
甲状腺疾患のある患者がうつ病をうかがわせる症状を述べることがきわめて多いのですが、うつ状態にあるということには気が付いておりません。医師の中にはそのような症状が大したものではないと退ける人がおります。ある程度管理された医療システムの元では、時間がないか、あるいはその時間に見合う報酬が得られないことから、医師はうつ状態にあるかもしれない患者と話すために余分な時間を割くことができません。誰かの生活の感情面に入り込むことは、医師のエネルギーを消耗させることがあり、患者の不安やうつ病の元を理解しようと努めることを実際に避ける医師が非常に多いのです。内科医や家庭医は精神的な苦悩に対処するのを好まないことがあり、また診察を行ったり、検査結果を得たり、薬の処方を行う際に手慣れた領域に固執する場合があります。
中には、疲れやうつ状態、体重増加などを訴える患者に「やり過ぎですよ」という医師もいるかもしれません。私の患者の一人は、マーガレットという27歳の金融ブローカーですが、私に前の医師との経験を語ってくれました。その当時、マーガレットはいつも疲労が続くようになり、気分が安定せず、20ポンド(9キロ)も太ってしまいました。
彼女は最初、「ただ疲れているからといって医師にかかるだろうか?」と考え、診察を受けに行くのを決まり悪く感じていました。しかし、3ヶ月間苦しんだ後で、医師の診察を受けに行きました。医師は彼女を診察し、こうアドバイスしました。「もっと運動して、あまり食べ過ぎないようにしなさい」マーガレットによると、「私は知っている誰よりもたくさん運動していますと言いました。おそらく先生は信じていなかったと思います。2度目に私が疲れのことを言うと、先生はぶしつけな態度でこう言ったのです。 『病気のようには思えませんね』」
マーガレットは何ヶ月もの間、いらいらして怒っぽく、抑うつ状態にありました。有り難いことに、彼女の養母がマーガレットに甲状腺の検査を受けるよう勧めたのです。マーガレットはやっと甲状腺が不活発になっているという診断を受けました。
明らかにうつ病に向かわせるような理由がある場合−難しい離婚やストレスの多い仕事、あるいは個人的な問題のような−医師はうつ病の原因あるいはその原因となるファクターとして、甲状腺機能障害を考慮することはあまりありません。
患者や家族、そして医師は、圧倒されるようなストレスや生活状況が症状の原因であると確信するようになるのです。それでも、<第2章>をお読みになるとわかるように、ストレスそれ自体が甲状腺ホルモンバランスの乱れの引き金となり、うつ病の一因となることもあるのです。甲状腺ホルモンバランスの乱れの影響により生じたストレスは、ストレス/病気/ストレスとどんどん進んでいく悪循環につながることがあります。そのため、ストレスの多い生活が本当は甲状腺に関連する症状の責めを負うこととなり、症状を長引かせ、悪化させることにもなる場合があります。難しい離婚や愛するものの死など、大きなストレスとなる出来事を経験し、不安症状が続いている人は皆、甲状腺の検査を受けることをお勧めします。
あなたが以前、うつ病やパニック発作、あるいはそれ以外の気分障害に罹っていた場合、医師が甲状腺の病気を見逃したり、誤診したりする可能性がさらに高くなります。そして、甲状腺ホルモンバランスの乱れの症状が気分障害のせいにされる可能性があり、医師はそれ以上原因を探そうとはしません。ある患者が私にこう言いました。「私は精神病院に入ってまず最初に医師に何を言ったらいけないかということをすぐに学びました。だって、一旦精神病であることを聞いたら、医師は他に何を言っても無視するだけですから」
うつ病と不安障害は、いちばん多い甲状腺疾患の精神的影響であるだけでなく、一般集団の中でいちばん多い精神病です。したがって、甲状腺ホルモンバランスの乱れがある患者は、臨床医ではなく精神科医にかかる可能性があります。うつ病と不安障害は、甲状腺ホルモンバランスの乱れと同じ身体的症状を起こすことがあるので(頻脈や発汗の増加、および眠れないなど)、精神科医は甲状腺疾患患者を診察する際に精神病を考え付く可能性があります。精神科医は精神症状の身体的原因を突き止めることにつながる体の診察を行わないことが多いのです(14)
ある研究では、精神科医が従来の精神科の基準を使って甲状腺機能亢進症の患者を評価すると、ほぼ半数の患者をうつ状態または不安障害に罹っていると診断することが示されています(15)。残念ながら、精神科医の一部は、疲労や人生への興味の喪失、また以前のように働けないなどということの説明となるかもしれない、患者に潜む甲状腺の病気に対する評価を必ずしも行なっていないのです。
明らかに、うつ病と甲状腺ホルモンバランスの乱れとの間の密接なつながりにより、様々な結果が出てきます。私が最近治療した若い母親であり、不動産業者であるレイチェルのような人にとっては、このつながりを明らかにすることが健康と幸せに欠かせないのです。彼女の本当は甲状腺に関連した病気が見付かり、治療を受ける前は、レイチェルは臨床的うつ病の様々な徴候を示していました。「いつも疲れていたんです」と彼女は話しました。
運動することももはやできず、そのことで非常にいらいらしました。家に帰って寝るだけでした。寝ていない時は、ただテレビを見ること以外は何もしませんでした。料理もせず、掃除もせず、犬を散歩に連れて行くこともしませんでした。
1ヶ月の間に20ポンド(9キロ)も太り、たくさん髪が抜けました。そのためにひどい姿になり、それが自尊心をひどく傷付けたのです。寒くなって、いつもサーモスタットの温度を上げていました。私の夫のジミーは私がそんなに寒いなんて信じられなかったのです。ただ、何をやる気にもなれませんでした。ブローカーの免許を取る試験を受けなければならなかったし、会社がそれに2,000ドルも払っていたんですが、そのための勉強をしようという気にもなれず、ただ家に帰ってガウンを羽織って長椅子に座っていたかったのです。主人と付き合いに出かけることにも興味を失いました。誰にも会いたくありませんでした。私達は出かけるのをやめてしまいました。性生活もまったくなくなりました。
レイチェルの症状から見て、長いこと彼女がうつ病だと診断されていたのは驚くことではありません。それでもこれらの同じ症状の多くが不活発な甲状腺に関係したものです。そして、レイチェルが甲状腺ホルモンバランスの乱れの治療を受けると、彼女はよくなり始めました。彼女はこう言いました。「少しずつ目が覚めて、気分がよくなり始めたみたいです。ふらふらしたり、何かに追われている感じがしなくなりました。ちゃんと食べるようになりましたし、もっと活動的になり、中程度の運動もしています。そして、30ポンド(13.5キロ)もやせたんです。主人と私はダンスに出かけました。そしてまた私の友達と再会したのです。皆 どこに行ってたのと聞きました」レイチェルがその質問に完全に答えるためには、甲状腺と精神、そして気分との間の相互作用についてもっとよく理解する必要があったでしょう。明らかに、不活発な甲状腺はうつ病を引き起こすことがしばしばあり、活動し過ぎの甲状腺は不安障害を起こす傾向があります。それでも、不安は甲状腺機能低下症の患者にも多く見られ、活動し過ぎの甲状腺のある患者の中にはうつ病になる人もいます。甲状腺機能亢進症患者がうつ病に罹った場合は、うつ病の時期は短期間である傾向がありますが、一部の患者ではうつ病の精神科基準を満たす、いつまでも長引くうつ病になることがあります<注釈:甲状腺とうつ病に関しては情報源/患者情報[003]<1>も参考にしてください>。
患者は自分の症状をすべて完全に知っているわけではないか、あるいは医師に自分の症状をちゃんと伝えません。
患者自身が意図せずに、自分の主訴をすべて医師に進んで話そうとしないことで適切な診断を妨げる場合があります。「疲れて、くたくたになっているんです」という訴えは、症状の上面だけを反映しているに過ぎません。疲労の症状が患者がはっきり言いたくないような、様々な気分や感情的問題を隠している場合があります。ほとんどの人はどのような気分であるか、あるいはどれくらい精神的に苦しんできたのかを分析し、はっきり言い表すということがなかなかできません。私達は自分の心がどう感じているか認識するよう教えられていないことが多く、また私達の多くは自分の感情を無視するか、軽視するように教えられています。それで、不快なことや精神的苦しみをすべて「疲れて、くたくたです。そして以前していたように働けません」という言葉にまとめてしまうことが非常に多いのです。また、精神的、身体的な機能障害を一次的なものとして退ける傾向もあります。
多くの人が疲労や人生への興味の喪失、そして以前と同じように働けないという症状に何年もの間、苦しんでいたのです。彼らはこのような気持ちに適応し、仕事をしたり、家庭での責任を果たすことができますが、内面では傷付いているのです。回りの人には普通に見えるよう必死の努力をしなくてはなりません。また、否定的あるいは自己拒否の状態にあり、助けや自分の症状に対する治療を求めない場合があります。
この自己拒否の一部は、我々の文化があらゆる精神病を不名誉なものとすることから来ています。精神的苦しみは、身体的苦しみに比べ大した事ではないという見方が一般的であることから、甲状腺ホルモンバランスの乱れのある人の中には、自分の不安やうつ病、あるいは痛みを隠し、医療の助けを求めない人も出てきます。それ以外の人は、治療を求めることで友人や親族に馬鹿にされないかと恐れている場合があります。
甲状腺機能低下症によるなかなかよくならないうつ病に苦しんでいたある患者は、私にこう言いました。「私は自分がうつ状態にあり、自分の中に何かおかしいところがあるいうことは知っていました。でも家族には知られたくなかったんです。会社にも知られたくありませんでした。健康保険にはうつ病の治療が入っていなかったので、適切な助けを求めるだけの費用が払えなかったのです」精神科の治療を求める患者の多くが、生命保険や高度傷害保険に入る際に非常な困難に遭遇する可能性があります。うつ病に罹っている多くの人は診断や治療を受けない方を選びます。なぜなら転職をする時に差別されるということを知っているからです。
私が甲状腺疾患の可能性があると評価した法学部の2年生は、2年間重症の不安障害に悩まされていました。1年前に不安障害の正しい診断を受けていたのですが、助けを求めることはしませんでした。「精神科の診察を受けることはできませんでした。後で司法試験を受ける時に精神科にかかったという記録があるだけで、将来のキャリアが全部だいなしになるからです」この患者は結局バセドウ病による活動し過ぎの甲状腺であることがわかりました。
症状が始まったら、それをただ受け入れたり、何もしないということでなく、できるだけ早く助けを求めることがどれほど大切なことか、いくら強調してもし過ぎることはありません。
多岐にわたる身体的症状が甲状腺ホルモンバランスの乱れを覆い隠すことがあります。
医師が甲状腺疾患の診断をし損なうもう一つの理由は、甲状腺疾患患者の精神的苦しみが実に様々な甲状腺疾患の身体的影響の中に埋もれている場合があるからです。甲状腺疾患の身体的症状が非常に目立っている場合、医師がその特定の症状に対して患者の治療を行い、その症状の原因となっている甲状腺疾患を診断できないことがあります。例えば、頻脈は活動し過ぎの甲状腺に普通に見られる症状ですが、医師がそれを心臓病だと思ってしまうことがよくあります。しかし、心臓の診査をして正常だということであれば、医師は気のせいだとして患者を帰すことが多いのです。
ジュディーは41歳の離婚女性で、母親を3年前に亡くしており、不安やうつ病の様々な症状を経験していました。それよりもっと彼女を悩ましていたのは、度々脈が速くなり、腕や足に力が入らなくなることでした。甲状腺機能亢進症には筋肉の脱力を伴うことがありますが、それを急性不安発作に伴う間欠的な全身の脱力と混同してはなりません。
ジュディーの言葉では:
約3年間、脈が速くなる症状を経験していました。神経質で怒りっぽくなっていました。手も震えていました。医師は私にたぶんそれは神経のせいだと言いました。先生は私に不安を減らす薬であるキサナックスをくれました。ある時、夜トイレに行くために起きて、歩き始めた時、倒れて行きそうな感じがしました。
何だかコントロールできなくなっていくみたいでした。吐き気がしていました。
私は友人に電話して、すぐ来てくれるように頼みました。私が最初に病院に足を踏み入れた時、救急室の医師は私が緊張状態にあると言いました。同じ症状が続いていました。数回病院に行き、医師が私の心臓をおとなしくさせるためにベータ・ブロッカーをくれました。でもそれだけでは十分でなかったのです。やはり夜中に頻脈のために目を覚ますことが続いていました。
その医師は結局24時間の心拍モニター検査を行うことにしました。
ジュディーがバセドウ病であると診断されるまでに長いことかかりました。彼女を何度も診た医師は彼女の心臓にばかり目を向けていたのです。
彼女の活発すぎる甲状腺の治療が行われた後、頻脈も含めて、すべての症状がなくなりました。
甲状腺ホルモンバランスの乱れは、ほとんどの体の器官の機能に悪影響を及ぼします。しかし、それがどれくらいひどく影響するかは人によって違います。同じレベルの甲状腺機能低下症に罹っている2人の人を想像してみてください。彼らには皮膚の乾燥や便秘、体重の増加などいくつか共通の症状があります。しかし、片方にはひどい頭痛があって、それがその患者と医師の両方がいちばん気にしていることかもしれません。関節や筋肉の痛みも不必要な検査をする引き金となったり、誤った診断につながるもう一つの症状です。そのような患者においては、医師が神経学的またはリューマチ学的疾患を考えることが非常に多いのです。不活発な甲状腺の感情的、身体的症状の多くが線維性筋痛や慢性疲労症候群(ひどい疲労を引き起こす疾患)の症状でもあるため、甲状腺機能低下症の患者が結局はこの2つの疾患のどちらかであると誤診されることもあります。
リューマチ学的疾患や神経学的疾患の検査を繰り返し受け、様々な専門医に紹介される患者は、検査ではっきりした診断がつかないために失望することが多いのです。その間、患者のうつ病の症状や収拾のつかない感じが増してくる可能性があります。診断がつかないままの甲状腺疾患患者は、普通、自分の症状の理由を捜して医師から医師を渡り歩きます。
婦人科的、ホルモン性の症状が甲状腺ホルモンバランスの乱れを覆い隠すことがあります。
甲状腺ホルモンバランスの乱れのある女性は、その身体的、精神的症状の両方が月経がひどくなったり、不規則になったり(甲状腺機能低下症)あるいは月経がなくなったり(甲状腺機能亢進症)するのと同時に始まるため、婦人科に助けを求めることが非常に多いのです。しかし、医師はその月経の問題を婦人科的あるいはホルモンの変化のせいだと考えがちで、女性に更年期だとか、前更年期であるということがよくあります。
ジャネットは1年以上前から甲状腺機能低下症に罹っていましたが、彼女がかかった婦人科医はジャネットの出血がひどいことにだけ目を向け、4年間様々な性ホルモンの処方を試した挙げ句、結局ジャネットは子宮切除を受けることになってしまいました。
ジャネットによれば:
婦人科医は私にホルモン剤のサンプルを渡して、3ヶ月間試してみるように言いました。私はまだ月経がひどく、ぜんぜんよくならなかったので、診察を受けに戻りました。また別のタイプの薬を3ヶ月分もらいました。全部で4回行って、その都度、種類の違うホルモン剤を試しました。それから、子宮切除術を受けました。体重は増え続けるし、髪が抜けてきました。どうしようもないという感じでした。私は何かおかしいのではないんですかと言ったんです。ほぼ2年経ってからやっと、先生が甲状腺機能低下症だという診断を下したのです。
アンジェラは35歳のデパートの販売部長ですが、長いこと説明のつかない様々な症状に如何に苦しんだかを話してくれました。
2人目の子供を産んだ後、その子が1歳になるまで家にいました。それから仕事に戻ったのです。時々具合が悪く、落ち込んだ気持ちになることがありました。横になって眠らなければ、その場で倒れ込んで眠ってしまうのではないかと感じました。それから、偏頭痛のようなもっと別の症状が出てきました。私がかかった内科の先生はバリウムをくれましたが、それを飲むと眠くなるので止めました。でもその後キサナックスを1日2回と別の不安に対する薬を飲み始めました。
アンジェラは短期記憶障害や気分のむら、怒り、そしてフラストレーションにも悩んでいました。一部には甲状腺ホルモンバランスの乱れのためですが、一体何が自分に起こっているのかわからないことから来る不安も一因となっていました。月経がひどくなり、7日から8日も続くようになり始めた時、自分の症状がすべて婦人科の病気からではないかと心配するようになりました。
彼女はこう言ったのです。「母が私に 『あなたの症状は更年期が早く来たみたいよ。婦人科に行って診てもらいなさい』と言いました。 私は婦人科医に月経が長引くようになったことを訴えました。先生はホルモン剤を使えば問題はなくなるだろうと言ったのですが、 症状は悪化したのです」
アンジェラの経験は、甲状腺機能低下症による精神的苦痛がどのようにして誤って性ホルモンの問題のせいにされるかということを示しています。エストロゲンやプロゲステロン治療で症状の改善が見られず、実際に悪化するような時は、甲状腺ホルモンバランスの乱れの検査を受けることが非常に大切です。
女性の医療は男性のものに比べて遅れています。そして甲状腺疾患の症状は大したことのない“女のぐち”だと無視されることが多いのです。
近年、内科医や家庭医が女性のためのケアを行い、女性の健康上のニーズを完全に理解するための適切なトレーニングを受けているのかという疑問が生じてきました。女性の健康で考慮すべきことは、生殖機能およびホルモンや心理的、社会経済上のファクターが異なるため、男性の場合とは違っています。
1993年にJournal of Women's Healthに発表された研究では、15歳から64歳までの女性の甲状腺の異常を突き止めるのには、家族や一般医、および婦人科医の能力に依存することが多いと示唆されています。 研究では、女性は一般的に家庭医や一般医にほとんどの医療を受けていることが示されています(54.9%)。一方で、内科医は外来の21.5%、婦人科医は23.6%を占めるに過ぎません(16)。しかし、女性の総合検診は主に婦人科で行われています(57.3%)。
アメリカ内科医会対策委員会では、女性の診療に関わる医師の最低限の能力を定め、内科の分野で女性を診るための能力を高めるよう勧めています。それでも、甲状腺の分野での能力については、甲状腺疾患に冒されるのは女性の方が圧倒的に多いのにもかかわらず、強調されておりません。女性は男性に比べ誤診される可能性が高く、これはおそらく多くの医師が女性の訴えを不安のせいだと思うことが多いためだと考えられます。時間に追われているため、医師は病歴を詳しく述べる際に“あまりにもたくさんの症状”を並べ立てる女性にそっけなくすることがあります。一部のあまり勉強していない、頭の古い医師は、甲状腺ホルモンバランスの乱れによる感情的影響を“典型的な女のぐち”として誤解してしまいます。あるいは、その症状を心気症だと信じてしまいます。そのような偏見が甲状腺ホルモンバランスの乱れの診断を誤らせる結果になるのです。
バセドウ病による活動し過ぎの甲状腺になった女性の話を物語った「如何に医療が女性を不当に扱っているかについての驚くべき事実」のレスリー・ローレンスとベス・ウェインハウスは「とんでもない診療」の中で、医師が正しい診断を下すまで20年かかった話を述べています(17)。その患者によれば、「先生達は私が女性だからという理由で、徹底的に診てくれることはなかった」ということです。
医療における女性への偏見は甲状腺疾患に限ったものではありませんが、女性での甲状腺ホルモンバランスの乱れの症状を退けることは、医師が取り扱う他の普通の疾患のどれよりも重大な結果を招く恐れがあります。月経前のホルモン変化や更年期、産後期、生殖と甲状腺ホルモンバランスの乱れとの間の複雑な相互作用は、女性の医療では重大視されてきませんでした。甲状腺疾患に苦しむ女性に最適な医療を提供するという我々の意識が欠けていることを十分に認識する必要があります。
医師は甲状腺を診査するための十分なトレーニングを受けていません。  
多くの初期医療担当医は日常の検診では甲状腺を無視することが多いのです。医師は甲状腺の触診や患者の他の訴えに注意を向けるようには教わっていないので、甲状腺が触診されることはありません。
研修中のある医師が私にこう言いました。「具体的な甲状腺診査の指導を受けたのは、医学部の学生だった時に一度あるだけです。インターンや専門医研修中に一人の内分泌病専門医の他に主治医がついて、その診察を私と一緒に復習した際に、何も思い出せませんでした」診察中の病歴採取時に医師は患者の甲状腺のことについて尋ねないことが多いのです。研修医が言ったように、「腹部の診察と患者のカルテに記載すべきことの方にうんと重きがおかれますが、検診では甲状腺の診察はかならずしなければならない場所ではないのです。甲状腺を診察するというような簡単なこと、しかもそれが毎日の診療で非常に大切なことであるのに、そのためのトレーニングが強化されていないのは驚くべきことです。それなのに、一般医が臨床では決して行わないような他の先進的方法の方がうんと強調されているのです」
話はまだ続きます。「多くの主治医と仕事をしてきましたが、古参の主治医でさえ、甲状腺の診察はあまりしたくないのだということを認めています。彼らはそのことを十分に教わっていなかったり、臨床で日常的に行なっていないため、所見を正しく解釈できるだけの経験がないということを認めています。この無知が代々伝えられているのです」
甲状腺の簡単な触診は甲状腺の病気の存在の手がかりを見付けるためにきわめて重要なものです。人口のおおよそ5%に非中毒性甲状腺腫(甲状腺機能障害を伴わない甲状腺の肥大)があり、別の5%には触診で触れる甲状腺結節(シコリ)があり、その一部には甲状腺癌が潜んでいる可能性があります。触診により医師は甲状腺のサイズと硬さを評価することができます。例えば、不活発な甲状腺の症状がある場合、甲状腺腫がその患者は甲状腺機能低下症を起こす橋本病に罹っているという手がかりを与えてくれる可能性があります。この病気では、甲状腺が大きくなり、軽度の圧痛があることがきわめて多いのです。もう一つ例を挙げますと、頻脈や神経質、不安、興奮、および最近の体重減少などがある患者では、甲状腺の診察により、バセドウ病による活動し過ぎの甲状腺と一致する甲状腺腫が見付かることがあります。
医師は患者の自己診断を退ける場合があります。  
患者が自分の症状が甲状腺疾患のためではないかと自分で判断した場合でも、一部の医師はその考えに抵抗することがあります。モーリーは甲状腺機能低下症のために体重がうんと増え、疲労がありました。
彼女が言うには:
私が最初に甲状腺機能低下症であると診断される前に、私はそのことを雑誌で読んでおりました。私は家庭医にそのような症状がたくさんあると言い続けたのですが、全然甲状腺をチェックしてくれませんでした。先生は私にこう言いました。「あなたはそれを飲むと体重が減ると思って、甲状腺ホルモンが欲しいのでしょう」それは私が求めていたこととはまったく違っていました。ただ私の体になぜこのようなことが起こっているかその答えを求めていたのです。先生はやっと検査をすることに同意してくれました。そして、間違いなく私は甲状腺機能低下症だったのです。
正しい診断を捜し求めるには長い時間がかかることがあります。不活発な甲状腺であるかどうかを確かめるには、TSH(甲状腺刺激ホルモン)の検査をしなければなりません。これは甲状腺の機能を司る脳下垂体のホルモンです。TSH検査は、血液中の甲状腺ホルモンレベルを測るよりも、はるかに信頼性の高い不活発な甲状腺の検知法です。ジェーンは28歳の看護婦で、HMO(米国保健維持機構)に入っていますが、自分のかかった初期医療担当医に自分の古典的な甲状腺ホルモンバランスの乱れの症状を話しました。性欲の減退、脱毛、物が見えにくい、皮膚の乾燥、そして集中力がないなどです。
彼女の例では、医師がT4検査(これは甲状腺で作られる2種類の甲状腺ホルモンの一つであるT4のレベルを測定するものです)を行いました。正常範囲内であるという検査結果が戻ってきました。そこで医師はジェーンが甲状腺の病気であるはずがないと断言したのです。でも、この医師はTSHのチェックを行っていませんでした。
彼女はこう言いました。「どこも悪くないと言われたことで、私は自分の頭がおかしいんじゃないかと思ってしまいました。私の体に起こっていることが本当のことではないと言って、私が感じていることを否定しようとする人がいたのです」後に内分泌病専門医によりTSHレベルの測定が行われた際に、彼女は甲状腺機能低下症であると診断されたのです。
想像がつくと思いますが、医師があなたの症状を大したことではないとか、一過性のものであるとか、あるいは関係ないものだと言って退けてしまうことが大変な不安を引き起こすことになります。自分の経験や判断について疑問を持つようになるだけでなく、医者に診てもらおうという気持ちにさせたリアルな問題にまだずっと苦しみ続けることになるのです。甲状腺疾患患者は、もしかしたら心気症ではないかと感じたり、時には本当は全部想像したことではないのかとさえ思ってしまうことがあります。それでも、どこかで自分の体があるべきようになっていないということがわかっているのです。したがって、やっとのことで医学的に悪いところがあるということを確かめる適切な診断が得られた時、皆一様にほっとするのです。自分の症状が単なる“想像”ではなく、“頭がおかしくなっている”のではなかったのだと。
覚えておくべき重要なポイント
甲状腺ホルモンバランスの乱れは体や精神に多岐にわたる影響を及ぼすため、甲状腺疾患が隠されたり、多くの身体的、感情的疾患と紛らわしい場合があります。
どの時点で調べても、甲状腺ホルモンバランスの乱れがある患者の半分以上が未診断であるか、誤診されているかのどちらかです。
甲状腺疾患の検知や治療で初期医療担当の医師に頼る必要はありません。多くの初期医療担当医はこの分野での適切なトレーニングを受けていないか、複雑なケースを扱うだけの経験がありません。正しい検査とフォローアップをしつこく頼むことです。
感情面の問題がある場合は、そのことをオープンに医師と話すようにしてください。すべての症状について相談してください。甲状腺ホルモンバランスの乱れによって生じる苦しみのほとんどは簡単に治すことができます。
甲状腺ホルモンバランスの乱れがうつ病や不安、気分の浮き沈みを引き起こすことがありますが、精神科医にかかる必要がない場合があるということを覚えておいてください。
参考文献
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