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妊娠中および授乳中の抗甲状腺薬使用について[論評]
Susan J. Mandel and David S. Cooper
J Clin Endocrinol Metab 86: 2354-2359, 2001

妊娠中の抗甲状腺薬治療

妊婦の甲状腺機能亢進症に対する治療は、最近のトピックとして数編の総説(1-6)や多数例の報告(7,8)が発表されている。これらの論文では妊娠中の不注意による放射性ヨード治療の結果や授乳との関係同様に、母体と胎児の関係、母親の甲状腺機能亢進症の疫学、妊娠時甲状腺機能亢進症の原因、妊娠時の甲状腺機能亢進症の診断、治療(抗甲状腺薬手術ベータ遮断剤ヨード剤)について論じられている。この論文の目的は、今までに発表された総説(1-6)に述べられていた総合的なガイドラインよりもさらに、徹底的に妊婦の甲状腺機能亢進症に対しての抗甲状腺薬治療を考察することである。前向きコントロール研究がないことや妊婦1,000〜2,000人に1人しか起こらないという稀なこと(7,8)であるがゆえに<注釈:妊娠時一過性甲状腺機能亢進症は頻度が10倍多い>、この問題は引き続き、論争を引き起こす。妊娠前に、放射性ヨード治療を受ける女性が増えるにつれて、将来は妊娠中の抗甲状腺薬の使用はより一層稀なものとなるかもしれない。

未治療甲状腺機能亢進症の危険性
妊婦の甲状腺機能亢進症に対する抗甲状腺薬治療の危険性と利益を論ずる場合、未治療の甲状腺機能亢進症が母親および胎児に及ぼす危険性についても考慮されるべきである。未治療の甲状腺機能亢進症が母親および胎児に及ぼす危険性は、甲状腺機能のコントロール状態や母親の甲状腺機能亢進症の重症度と直接関連しているように思える。1989年に発表された論文(8)では、181名の甲状腺機能亢進症妊婦を3つのグループに分けた:治療により妊娠中ずっと甲状腺機能正常であった群(グループ1、34名)、妊娠時には甲状腺機能亢進症であったが、その後治療を受けて甲状腺機能正常になった群(グループ2、90名)、妊娠中、甲状腺機能亢進症のコントロールをしていなかった群(グループ3、57名)。出生時低体重児(2,500g以下)の生まれるオッズ比<注釈:オッズ比が大きいほど関連があることを示しています。統計学的な手法です>は、グループ1の妊婦では普通の妊婦と同じであった。しかし、グループ2では2.4、グループ3では9.2と出生時低体重児の生まれる危険性が増していた。さらに、未熟児が生まれる危険性もグループ1に比して、グループ2(オッズ比2.8)とグループ3(オッズ比16.5)では増していた。妊娠痙攣<注釈:妊娠中毒症の一種>もグループ3で多くみられた(オッズ比4.7)。この研究では、妊娠月齢に比べて体重の少ない児の出産には差がなかったが、Mitsudaら(9)は妊娠期間30週以上、甲状腺機能亢進症のあった妊婦では、妊娠月齢に比べて体重の少ない児の出産の頻度が高かった(26.7%)と報告している。妊娠中、甲状腺機能が正常であった妊婦では、妊娠月齢に比べて体重の少ない児の出産の頻度は7.7%であった。Daviesら(7)は、未治療のバセドウ病妊婦から生まれた児8人中4人(50%)が死産であり、治療により甲状腺機能が正常な妊婦36人からは一例の死産もなかったと報告している。また、未治療のバセドウ病妊婦から生まれた児8人中5人(62%)で心不全がみられ、治療により甲状腺機能が正常な妊婦36人中1人(3%)で心不全がみられたのみである。興味あることは、別の研究(10)で報告されているのですが、心不全のみられるバセドウ病妊婦が治療によって、甲状腺機能が正常になっても心機能は元のように正常にはならないということです。この事実から、治療で妊娠中甲状腺機能を正常に保っている妊婦でさえも子癇前症<注釈:妊娠中毒症の一時期で、浮腫、頭痛、蛋白尿、血圧上昇を伴うが、痙攣は出現しない。主として腎障害によることから妊娠腎ともいわれる>がみられる現象(10)を説明できるかもしれない。

未治療のバセドウ病妊婦が先天性奇形児を出産しやすいかどうかは不明である。Mitsudaら(9)は、バセドウ病妊婦230人から6人(2.6%)の先天性奇形児が生まれたと報告している(心室中隔欠損3人、口唇・口蓋裂1人、多指症1人、腹直筋離開1人)。この奇形発生頻度は、正常妊婦の頻度と同じである。しかし、母親の甲状腺機能が正常かどうかは記載されていない。妊娠初期の甲状腺機能と先天性奇形の関連に関する日本から報告されている別の研究(11)では、未治療のバセドウ病妊婦から生まれた児50人中3人(6%)(肛門閉塞1人、無脳児1人、口唇裂1人)、治療していたが甲状腺機能亢進状態にあった妊婦から生まれた児117人中2人(1.7%)(耳介奇形1人、臍ヘルニア1人)で先天性奇形がみられたが、妊娠中、治療により甲状腺機能が正常であった妊婦126人から生まれた児では先天性奇形はみられなかった<注釈:この百渓先生たちの研究結果は最近、訂正されています。抗甲状腺剤を飲まずにバセドウ病のコントロールができていない状態でお産すると奇形児が生まれ易いと言われていましたが、現在の研究ではそのような状態で出産しても奇形児は生まれないことが分かりました>。米国からの報告(12)では、バセドウ病妊婦における先天性奇形を出産する頻度は3%(185人中6人)である:妊娠初期の甲状腺機能が亢進状態であった妊婦から生まれた児99人中3人(肺動脈口狭窄症1人、心室中隔欠損1人、動脈管開存症1人)、妊娠初期の甲状腺機能が正常であった妊婦から生まれた児96人中3人(鼠径ヘルニア2人、水頭症1人)で先天性奇形がみられた。これまでのデータから、未治療および不十分な治療でバセドウ病患者が妊娠した場合、ほんの少し奇形児を産む頻度が高くなるかもしれない。しかし、関連性を明確にするためにはもっと情報が必要である。

甲状腺機能亢進症に対する抗甲状腺薬
妊娠中に甲状腺機能亢進症の症状が中等度もしくは重症なときには、抗甲状腺薬による治療が必要なことは明白である。中等度もしくは重症である甲状腺機能亢進症の定義は明確ではないが、FT4の正常値が2.0ng/dl以下の場合、FT4が2.5ng/dl以上であれば、治療することは正当性がある。しかし、症状がなく、妊娠も順調でFT4が2.5ng/dlを少し越えている程度なら、抗甲状腺薬を飲まないで慎重に経過観察をしてもいいかもしれない。今までに報告された妊娠と甲状腺機能亢進症の関連に関するものは、すべて母親の症状の有無というより、母親の甲状腺ホルモン高値と結びつけたものであることを銘記しておかなければならない。確かに、フリーT3やフリーT4がほんの少し高いだけの軽症の場合には、妊娠が進むにつれて甲状腺機能亢進症は落ち着いてくること(1-6)や甲状腺機能正常のときの方が、母親が妊娠中に軽い亢進症である場合に比べて新生児一過性甲状腺機能低下症になりやすいという事実(13)などを考慮すると、経過をみるだけでいいかもしれない。妊娠時には通常のフリーT4測定キットでは、見せかけ上高めに出るので、フリーT4値がボーダーラインの例では、平衡透析法で測定する方がいいかもしれない(14)。妊娠中には、産科医と連絡を取り合うことは妊娠を継続するのに重要である。抗甲状腺薬の量を加減することが妊娠継続に重要な要素である。

PTU<注釈:日本ではプロパジールまたはチウラジール>とメチマゾール<注釈:日本ではメルカゾール>のどちらも妊娠中に使われてきた。妊娠中、どちらの薬物も効果は同じである(12,13,15)。アメリカでは、メチマゾールが胎盤を通過しやすいと考えられ<注釈:これは一回投与ではそうであるが、長期に服用すると胎盤通過性は同じである>、乳汁中にも出ることやメチマゾールと頭皮欠損の関連性の報告のために、PTUが昔から好んで使われてきた。しかし、メチマゾールやカルビマゾール<注釈:体内でメチマゾールに変換される。>は、世界中で広く妊婦の甲状腺機能亢進症に使用されている。

どちらのクスリ?:PTU?メチマゾール?
胎盤通過性
抗甲状腺薬の胎盤通過性について、ヒトでの唯一の研究によれば、妊娠8〜20週で人工流産を行った9人の妊婦に対して、人工流産2時間前に35-Sをラベルした抗甲状腺薬を服用してもらった(16)。9人中7人で結果が得られた。メチマゾール(2人)とカルビマゾール(3人)<注釈:体内でメチマゾールに変換される>では、胎児の血清または臍帯血のメチマゾール濃度は母親の血清メチマゾール濃度と比べて、0.72〜1.0であった。これは、胎盤通過性が高いことを示している。一方、PTU(2人)では、胎児の血清または臍帯血のPTU濃度は母親の血清PTU濃度と比べて、0.27〜0.35であった。これは、メチマゾールに比べて胎盤通過性が低いことを示している。この研究者たちは、同様の結果を動物実験でも得ている。メチマゾールとPTUの胎盤通過性の違いは、アルブミンへの結合能の違い(PTUの方がメチマゾールよりアルブミンへの結合能が高い)や脂溶性の違いに因るものと思われる。同様に、薬剤の母体と胎児の分布量、排泄、代謝の違いにも起因すると思われる(16)

最近、ヒトの胎盤を使った灌流実験では、メチマゾールとPTUの胎盤通過性には差がないことが分かった(17)。PTUのアルブミンへ結合能は高いのだが[(61%がアルブミンへ結合している(17)]、抗甲状腺薬の胎盤通過性は結合蛋白濃度とは無関係である。蛋白に結合していない抗甲状腺薬が有効に胎盤を通過するメカニズムが存在する可能性がある。Marchantらの研究では、薬物を一回投与しているだけなので毎日服用した状態を反映していないために、この研究結果とMarchantらが以前に報告した結果(16)の違いは説明できる。この実験データが完全にヒトで当てはまるかどうかは不明であるが、メチマゾールとPTUの胎盤通過性には差がないことは、どちらの薬物を使用しても胎児の甲状腺機能や先天性奇形の頻度に差がみられない事実(12,15)や臍帯血PTU濃度が同時に採血した母体の血清PTU濃度と同じか高い事実(18)と一致する。
抗甲状腺薬に関連している可能性のある先天性奇形
頭皮欠損は先天性のもので、通常、頭頂部や後頭部に直径0.5〜3.0cm程度の皮膚の欠損としてみられる(19)。頭皮欠損は自然に閉鎖することもあるし、場合によっては皮膚移植を要することもある。通常の出産でも、頭皮欠損は2000人に1人の頻度でみられ(20)、家族性のことが多く、単独の奇形として出ることもあれば、別の奇形を伴うこともある。1972年、MihamとElledge(21)は、ワシントン州で6ヶ月間に生まれた12例の先天性頭皮欠損児について報告している。このうち、2人の妊婦はメチマゾールを服用していた。その後も、散発的にメチマゾールと頭皮欠損に関する症例が報告されている(20,22)。Van Dijekらは、メチマゾールと頭皮欠損の間には関連はないということを報告しているし(20)、Momotaniら(11)は、243人のメチマゾールを服用していた妊婦から生まれた児には、頭皮欠損は一人もみられなかったと報告しているが、メチマゾールと頭皮欠損に関する症例が報告されている(23-28)。さらに、スペインからの動物を対象とした報告であるが、Martinez-Friasら(29)は、動物を太らせる目的で非合法的にメチマゾールを投与して、頭皮欠損の頻度が3 倍に増加したと報告している。これは、メチマゾールと頭皮欠損の関連を証明する疫学的な事実と受け止められている。

頭皮欠損よりもっと注目されているのは、最近に報告されているメチマゾールに関連した8例の先天性奇形の記載である。この先天性奇形には、頭皮欠損、後鼻孔閉鎖、気管・食道瘻、乳房低形成、顔面奇形、精神運動の遅延が含まれる(30,31)。ここに記載されている8例の先天性奇形(頭皮欠損も含めて)は、PTUでは報告がない。アメリカでは、妊婦にはPTUが好んで使われるので、この面からは都合がいいと思われる。

PTUが以前考えられていたより胎盤を通過しやすいという事実は、妊娠時に服用する抗甲状腺薬としてメチマゾールよりPTUの方が優れているという考えをゆるがせるものである。一方、稀だが、奇形との関連性が疑われているメチマゾールは妊婦に対して、最初に使用する抗甲状腺薬としては敬遠される傾向にある。妊婦に対して使用する場合、メチマゾール、PTUのどちらでも同じと思うのだが、今でも妊婦に対してはPTUが好んで使用されて、メチマゾールはPTUで副作用が出た場合やPTUの効果が悪い場合に使用される。

臨床的に考慮すべきこと
中等度もしくは重症の甲状腺機能亢進症と診断されたら、一日300mgのPTUを3回に分けて、服用開始する<注釈:日本ではプロパジールまたはチウラジール:一錠が50mgである>。未治療時の甲状腺機能は薬物の効果に依存するので、軽症例ではもう少し少量のPTUで十分である。もし、妊娠前にメチマゾールを服用しているなら、妊娠を計画した時点や器官形成期である妊娠初期に妊娠が判明したときなども、PTUに変更することが妥当と思われる。母体の甲状腺機能は毎月調べるべきである。血清フリーFT4値を正常上限もしくは少し高めに保つようにPTUの調節をする。TSHが正常になったら、PTUは減量しなければならない。一方、甲状腺ホルモン高値が続く場合には、甲状腺機能を正常にするために躊躇なくPTUを増量するべきである。ときに一日600〜800mgのPTUを必要とすることがある。服用が不規則な場合(32)や妊娠中でPTUの薬物代謝が変化している可能性がある。ある研究(33)では、妊娠中のPTUの薬物代謝は妊娠時と変わらないと報告しているが、別の研究では妊娠中には同じ女性の産後(18)や健常妊婦(34)に比べて、血清PTU濃度が低いという報告を出している。メチマゾールによる限られた研究結果(35)は、妊婦では非妊婦に比べてメチマゾールが体から排泄されるのが早いことを示唆している。これらの結果とは対照的に、Wingら(12)は、PTUとメチマゾールの両方とも治療に必要な量に妊婦と非妊婦の間で差はないことを報告している。しかし、妊娠中にずっと高用量のPTUやメチマゾール投与が必要な場合には、妊娠中期に手術を受けることもある(1-6)

甲状腺機能が改善するにつれて、PTUの投与量は徐々に減ってくる。一日のPTU投与量が50〜100mgになったら、PTUを中止できるかもしれない。ここに書いることやDanielsが提案しているように、この論文でも書いている母体と胎児の甲状腺機能の関係などを考慮に入れると、母体の血清TSHが正常範囲になったら、低用量のPTU投与(50〜100mg/日)は中止すべきである。ある研究(36)によれば、30人のPTU投与していた妊婦のうち、10人は妊娠後期にPTUを中止できたと報告している。

学問的に考慮すべきこと
母体の甲状腺機能亢進症に対する過度の治療は胎児の甲状腺機能低下症(37)甲状腺腫(38,39)を引き起こすことは明白である。しかし、臨床的にほとんどは、一過性の潜在性甲状腺機能低下症(TSH軽度増加、T3およびT4値正常)がみられるにすぎない(13,15,40)。Momotaniら(13,15)は、母体と新生児の甲状腺機能の相関関係について、最も多数例を検討して報告している。一つ目の報告(13)は、甲状腺ホルモン値を正常より少し高めにするように治療していた妊婦から生まれた児には血清T4低値や血清TSH高値はみられなかった。母胎と胎児の甲状腺機能は強い相関がみられた。母体の妊娠中フリーT4が正常範囲の上1/3なら、一過性新生児低サイロキシン(T4)血症の発現率は10%にみられるだけだが、母体の妊娠中フリーT4が正常範囲の下2/3なら、一過性新生児低サイロキシン(T4)血症の発現率は36%、母体の妊娠中フリーT4が正常範囲以下だった場合、一過性新生児低サイロキシン(T4)血症の発現率は100%に跳ね上がる。重要なことは、メチマゾール投与群(43人)とPTU投与群(34人)の間で、臍帯血のフリーT4とTSHには差がないこと、それぞれの抗甲状腺薬の投与量と新生児甲状腺機能の間にも差がみられなかったことである。抗甲状腺薬の投与量と新生児甲状腺機能の間に差がみられなかったことや母体と胎児の甲状腺機能に強い相関関係があったことは、Mortimerら(41)やMomotaniら(13,15)が推測しているように胎児の甲状腺機能は、母体の甲状腺刺激抗体の影響を受けているという可能性により説明できるかもしれない。これらのことから、胎児の甲状腺機能低下症を恐れて治療が不十分になるより、もし必要なら、非妊娠時と同じ高用量の抗甲状腺薬を使用する方が利益があるかもしれない。

一方、Haddowら(42)は、母体に軽度甲状腺機能低下症があると、児の知能発達に影響を与えるという報告を発表した(この児の知能発達への影響は甲状腺ホルモン剤投与で予防できる)。しかし、Haddowらの研究で対象となった妊婦が全員、妊娠中に抗甲状腺薬を服用していたわけではない。今までの研究から、妊娠中にメチマゾールかPTUで治療を受けた母親から生まれた児のIQ(知能指数)は、同年齢の児(43)や妊娠中に抗甲状腺薬を受けないときに生まれた同胞(44)と比べて差はみられていない。しかし、上記の研究では、妊娠中の甲状腺機能について記載がないために、妊娠中に抗甲状腺薬が効きすぎて甲状腺機能低下症になっている母体から生まれた児がどれくらいいるのかを知ることは困難である。

サイロキシンと抗甲状腺薬の併用療法が、母体の甲状腺機能低下症や抗甲状腺薬による児への影響を予防できるか?今までに発表された論文から検討すると(45)、新生児甲状腺腫の頻度は、妊娠中にサイロキシンと抗甲状腺薬の併用療法を受けた群(1/165;0.6%)の方が、妊娠中に抗甲状腺薬の単独治療を受けた群(18/417;4.3%)より低かった。別の研究(40)では、妊娠中にサイロキシンと抗甲状腺薬(PTU=129mg/日)の併用療法を受けた群(7人)とPTU単独治療(PTU=150mg/日)を受けた群(4人)を比べても、臍帯血のT3,T4,TSHに差はみられなかった。この少人数での研究から分かったことは、サイロキシンと抗甲状腺薬の併用療法は必ずしも新生児低サイロキシン(T4)血症を予防できるわけではなく、妊娠中は通常の併用療法で用いるPTUより少ない量で十分であることである。

抗甲状腺薬の投与が必要以上に多くなる可能性があるので、妊娠中のサイロキシンと抗甲状腺薬の併用療法は現在では避けられる傾向にある(6)。しかしながら、もしサイロキシンと抗甲状腺薬の併用療法が胎児の低サイロキシン(T4)血症の指標となる母体の甲状腺機能低下症(13)を回避することが可能ならば、この治療法も再評価される価値があるかもしれない。例えば、ある研究では妊娠中に甲状腺機能を調べたところ、抗甲状腺薬のみで治療を受けている患者のうち32%では、甲状腺機能低下症になっていた(文献45の中で引用されている)。別の研究では、抗甲状腺薬治療中の妊婦では、25%が甲状腺機能低下症(フリーT4低値)を呈していた(13)。顕性甲状腺機能亢進症や抗甲状腺薬を中止できるような軽症の場合には、抗甲状腺薬にサイロキシンを追加する治療は実際的ではない。しかし、維持量以上の抗甲状腺薬(PTUなら150〜200mg/日以上、メチマゾールなら10〜15mg/日以上)を必要とする場合には、妊娠初期にサイロキシンと併用することはいくらかの理論的正当性を主張できるかもしれない。
この問題に対する答えは、前向き試験による長期観察を行うことでしか出ないであろう。

授乳中の甲状腺機能亢進症に対する抗甲状腺薬治療

授乳中の抗甲状腺薬治療の安全性に対する疑問は、いくつかの臨床的な状況で生じてくる。バセドウ病の症状は、妊娠中に変動する。通常、妊娠後期には抗甲状腺薬を減量または中止できる。そのような場合、産後に再発するかどうか経過をみるだけでいいこともある。妊娠中ずっと抗甲状腺薬を服用することもあり、産後直ちに授乳が始まる。妊娠後期に抗甲状腺薬を中止できたにもかかわらず、産後に再発し抗甲状腺薬の服用が必要になることもある;しかし、母親としては授乳を続けることを望む。バセドウ病は、甲状腺機能亢進症の症状が出現するかもしくは無痛性甲状腺炎の後(40)に出るかの形で、産後に発症しやすい。もし、産後にバセドウ病が発症した女性が授乳していた場合、抗甲状腺薬を服用する必要があるときにも彼女らは授乳を続けることを望む。

以前には、乳汁中に児の甲状腺機能に影響を与えるであろう量の抗甲状腺薬が含まれているという理由で、抗甲状腺薬服用中の場合には授乳はしないようにアドバイスしていた。この勧告は、最初に開発された抗甲状腺薬の一つであるチオウラシルの研究に基づいて出されたものである。1944年、Williamsら(47)は、2人の授乳婦に1gのチオウラシルを投与して2時間後の乳汁中チオウラシル濃度は血中チオウラシル濃度の3倍であったと報告している。甲状腺機能亢進症に対するチオウラシルの治療は別の理由で中止になった。20年前まで、現在使用されている抗甲状腺薬を服用している授乳婦に関する研究は全くなかった。

乳汁中の抗甲状腺薬の薬理学的研究
1980年にKampmannらは「ヒト乳汁中のPTU:定説の改訂」というタイトルで報告を発表した。その中で、彼らはPTUの乳汁中濃度は高くないことを示した。9人の授乳婦(7人は健常者、2人はPTU治療中のバセドウ病患者)に200mgのPTUを服用してもらって、4日間の血中と乳汁中のPTU濃度を測定した。この4日間に乳汁中に排泄されるPTUは、投与した量の0.025%(0.007〜0.077%)であり、同時に測定した血中濃度のたった1/10であった(48)。これは、その直前に発表された研究結果(49)と一致するものであった。これらの結果から、授乳婦にPTU=200mgを一日3回(計600mg)投与した場合、一日149μgのPTUを児は服用することになる。児の体重を4kgとすると、これを体重70kgの成人に換算すれば、一日PTU=3mgという少ない量になる(48)

メチマゾールやカルビマゾール<体内でメチマゾールに変換される>の乳汁中への移行に関する研究から、乳汁中に高濃度のメチマゾールやカルビマゾールが排泄されることが分かった。投与後8時間を超えても、血中と乳汁中のメチマゾール濃度比は1:1であり(50-52)、服用した量の0.1〜0.17%相当である。授乳婦にメチマゾール40mgを単回投与した場合、児は70μgのメチマゾールを服用することになる。児の体重を4kgとすると、これを体重70kgの成人に換算すれば、メチマゾール1.2mgを服用したことになる。メチマゾールの乳汁中濃度は高いので、理論的には授乳中にメチマゾールを服用すると児の甲状腺機能に影響を与えることが考えられる。しかし、これらの研究は甲状腺疾患を持たない授乳婦に抗甲状腺薬を単回投与したものばかりである。すなわち、抗甲状腺薬を長期間服用している状態のものではないということである。つい最近の研究(53)では、メチマゾールを一日20〜30mg服用中のバセドウ病患者から授乳されている児の血中メチマゾール濃度(母親がメチマゾールを服用して2時間後)は、0.03μg/ml以下であり、この濃度は治療有効濃度よりずっと低いものである(52)

薬理学的研究の面からみると、メチマゾールやカルビマゾールとPTUの乳汁中への排泄の違いは、薬物自体の特性に因るところが大きい。メチマゾールは蛋白との結合が少なく、PTUは蛋白、特にアルブミンと強く結合している(54)。さらに、メチマゾールは血清中ではイオン化されていないが、弱酸性であるPTUは同じく弱酸性である乳汁中よりも血清中(pH7.4)でよりイオン化されている。このPTUの特性が血清から脂肪に富んだ乳汁中への移行を妨げる要因である(48)

1980年代前半のころに行われた研究に基づいて、数人の研究者(49,50,52)は、もし授乳を希望した場合にはメチマゾールやカルビマゾールよりPTUを使用すべきであると勧告を出した。しかし、これらの研究は単にPTUの乳汁中への移行のみを問題にしており、抗甲状腺薬使用中の授乳の安全性を保証するものではない。ある研究者(55)が述べているように、授乳は心理的および身体的側面から重要であるので、授乳婦が甲状腺機能亢進症の治療として抗甲状腺薬を服用している場合、乳児の甲状腺機能がどうなっているかを研究することは重要なことである。

臨床研究
過去20年間、授乳中の抗甲状腺薬使用における乳児の甲状腺機能に関する研究がいくつか発表された。授乳中に抗甲状腺薬(PTU、メチマゾール、カルビマゾール)を使用した甲状腺機能亢進症患者約200人について記載している【表1】(48,53,55-58)。これらの研究の方法は様々で一定ではない。母親と児の甲状腺機能を経時的に厳密に調べたものもあるし、そうでないものもある。さらに、抗甲状腺薬の投与量とは関係なく児の甲状腺機能に影響を与える要因もある。この要因で一番重要なものは、母親から胎盤を通して移行した甲状腺刺激抗体<注釈:免疫グロブリン、IgG>が、生後数週間<注釈:母親から移行した免疫グロブリンは2〜3ヶ月で児の血中から消失する>、児の甲状腺を刺激することがある(58)

【表1】をまとめるといくつかの結論が引き出される。まず最初に、授乳婦がメチマゾール(20mg/日以下)またはPTU(600〜750mg/日以下)を服用していても、児の甲状腺機能には影響を及ぼさない。血清TSH高値、フリーT4低値を示した3人の児は、生後1週間に甲状腺機能を調べており、これらの児は妊娠中、産後もPTUを服用していた母親から生まれた(55,58)。事実、出産時、この3人の児のうち2人は甲状腺機能はもっと低かった。これは、臍帯血のTSH高値、フリーT4低値により確かめられている。しかし、授乳中も抗甲状腺薬を服用しているにもかかわらず、児の甲状腺機能は産後1ヶ月以内には正常に復した(55,58)。ゆえに、この一過性の甲状腺機能低下は胎盤を通して移行したPTUが児の血中から消失するのにかかる時間であると思われる。一過性の甲状腺機能低下は、授乳中の抗甲状腺薬によるものではないことが分かる。さらに、たとえ授乳婦が抗甲状腺薬過剰投与によると思われる甲状腺機能低下症になっていたとしても、Aziziら(53,57)が報告しているように授乳を受けている児の甲状腺機能は正常のままである。彼らは、授乳中にメチマゾールを服用していた6人の患者を報告している(10mg/日:1人、20mg/日:5人)。彼女らの甲状腺機能は治療開始1ヶ月後に血清TSH高値(19〜102mU/L)、フリーT4低値(3〜32nmol/L)を示した。同時に調べた児の甲状腺機能は正常であった(血清TSH=1.0〜2.6mU/L、フリーT4=138〜154nmol/L)。

2番目に、授乳中にメチマゾールを服用していた母親から生まれた児の知能および身体の発達に関して研究がされてきた。しかし、同じ目的で行われたPTUに関するものは、現在までない。Wechsler Preschool and Primary school of Intelligence and Goodendough testsを用いて、Aziziら(53)は授乳中にメチマゾールを服用していた母親から生まれた児14人と年齢が48〜74ヶ月の健常児に対して、言語や行動に関するIQを測った。その結果、IQや身体的発達において、二つの群には差はみられなかった(53)。Aziziは、最近、対象の数を増やして同じような研究を行ったが、結果は同じであった(53)。タイプ2エラーを除外するには、これらの研究は対象の数が少なすぎる。しかし、彼らの研究から児の甲状腺機能が正常であったことを考慮に入れると、児の甲状腺機能は正常な脳の発達に十分であると推論するのが理にかなっているように思われる。

最後に、じんま疹、無顆粒球症、肝障害、アレルギー反応などの抗甲状腺薬による副作用が、抗甲状腺薬を服用している母親から授乳を受けている児では報告されていない。しかし、じんま疹を除けば他の副作用は稀であり、報告されている児の数も約200人と少数なので、重篤な副作用の可能性がないわけではない。

まとめると、抗甲状腺薬を妊娠中から引き続きか、もしくは産後から開始したとしても、授乳中に抗甲状腺薬を服用することは安全であると思われる。メチマゾールに関していえば、一日20mgまでなら児の甲状腺機能に影響を与えない(53,57)。PTUに関していえば、報告されている症例数が少なく、PTUを服用している母親から授乳を受けている児で甲状腺機能の経過をみたのはたった3人のみである(750mg/日:1人、600mg/日:2人)(58)。ゆえに、慎重を期すため、授乳中にPTUを投与する場合には一日450mg以下にするべきであろう。抗甲状腺薬を服用するのは授乳直後が適切である。抗甲状腺薬服用3〜4時間は授乳を避けるべきである。授乳中に抗甲状腺薬を服用している場合、母親の甲状腺機能は、クスリの量を調節するために甲状腺機能をチェックするべきであるが、児は身体的および知能的な発達が正常なら、定期的に甲状腺機能をチェックする必要はない。

. Dr.Tajiri's comment . .
. 妊娠中および授乳中の抗甲状腺薬治療に関する研究では、日本の百渓先生がこの分野に大きく貢献していることが分かります。同じ日本人として誇りに感じました。

今回の公開で気が付いたこと、2つについて述べます。

一つ目は、妊娠初期のメルカゾール服用で頭皮欠損が起こるかもしれないこと。これに関しては、科学的に証明された研究はありません。加えて、世界で17例しか報告されていません。ただ、頭皮欠損はPTUではみられません。今回の公開で、片手落ちなのは、実はPTUでも頭皮欠損以外の奇形はみられることです。頻度はメルカゾールと同じく1%前後です。これは後でも述べますが、通常の出産でみられる頻度と同じです。ですから、現在では妊娠中に抗甲状腺薬を服用しても少なくとも奇形児が生まれやすいとは考えられていません。因みに、わたしは妊娠中の人でもメルカゾールを使用することがあります。妊娠中にPTUに変更して副作用が出ると困るからです。PTUに対して副作用がある場合もメルカゾールを使用します。頭皮欠損は経験ありませんが、臍帯ヘルニアの経験があります。ただ、普通の分娩でも1%に奇形がみられますので、これが果たしてメルカゾールによるものかどうかは不明です。妊娠中の治療については、主治医の先生とよくご相談ください。

二つ目は、授乳中のメルカゾール服用についてです。従来は、メルカゾールは乳汁中に出るので、授乳する場合にはPTUに変更するようにアドバイスしていました。今回の論文では、一日20mgまでなら授乳中でもメルカゾールを服用してもいいという勧告に変わってきました。これは、PTUに副作用がある授乳婦にとっては好都合です。
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