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[044]2002年12月3日
[044]
腹部悪性腫瘍と誤診した甲状腺機能低下症
田尻クリニック / 田尻淳一
重症甲状腺機能低下症は、昏睡、脳性歩行失調、心嚢液貯留、腹水などの症状がみられるため、別の疾患と間違うことがある。最近の英国医学会誌(BMJ 325; 946-947, 2002)に腹水貯留があり、血清CA125が高値を示したために卵巣の悪性腫瘍と誤診した甲状腺機能低下症の一例を報告しています。

症例は、74才女性で、4ヶ月前より腹部膨隆が出現し、徐々に膨れてきたために家庭医のところへ受診しています。症状は、呼吸困難、嗜眠、食欲不振です。既往歴で、甲状腺疾患、甲状腺手術、頸部への放射線照射はありません。家庭医は、腹部の悪性腫瘍を疑い、専門医に紹介しました。早速、診察を受けましたが、声が少ししゃがれ声と大量の腹水以外には異常を認めなかった。年令、体重減少、腹水などより専門医も腹部の悪性腫瘍を疑い、検査を開始しました。白血球、赤血球などの血液検査、肝機能を含めた生化学検査も正常であった。甲状腺機能低下症で高くなるCPKも、驚くことに正常であった。胸部レントゲン写真では、両肺に少量の胸水がみられた。心電図は異常なかった。診断と治療の目的で、腹水を穿刺吸引しました。液は滲出性で、蛋白が37g/Lであった。細胞診では悪性細胞はなかった。腹水穿刺吸引を2回行ったが、細胞診では悪性細胞は出なかった。血清腫瘍マーカーでは、CA125<注釈:卵巣癌で高くなる腫瘍マーカーだが、他の癌でもまれに高くなることもある>が1,059U/ml(正常:37U/ml未満)と異常高値であった。その他の血清腫瘍マーカーは正常であった(CA19-9, CA15-3, CEA, AFP)。この時点で、腫瘍専門医は卵巣癌か原発巣不明の悪性腫瘍の腹膜へのびまん性転移と考えた。診断を付けるために腹部CTを受けたが、大量の腹水があるだけで、腹部、骨盤内に腫瘍は見つからなかった。乳房撮影、上部消化管内視鏡検査も異常なかった。甲状腺機能低下症の症状は、しゃがれ声と乾燥肌だけであったが、甲状腺機能検査を行った。TSH; 73mU/L(正常:0.2〜5.7mU/L)、フリーT4; 5pmol/L(正常:9〜19pmol/L)と甲状腺機能低下症であった。抗TPO抗体は、806IU/ml(正常:50IU/ml未満)と陽性であった。彼女は早速、サイロキシン(日本ではチラーヂンS)25μg/日の服用を始めた。

血清CA125は、一回目の腹水穿刺で1059U/mlから921U/mlと低下してきた。2回目の腹水穿刺をして10日後には、138U/mlとさらに低下した。サイロキシンは、2回目の腹水穿刺と同時に開始した。サイロキシン開始して4週間後には、まだTSH46.6mU/Lと甲状腺機能低下状態にあった。しかし、血清CA125は、43U/mlと低下していた。徐々にサイロキシンを増量して、100μg/日を服用中で甲状腺機能も正常になり、腹水も消失した。6ヶ月経つが、腹水も再発しないし、悪性腫瘍もない。

腹水は、甲状腺機能低下症の患者の4%でみられると言われている。甲状腺機能低下症の腹水の特徴は、蛋白濃度が高いことである。当然ながら、甲状腺ホルモン剤治療にて、腹水は消失する。今回の症例は、甲状腺機能低下症で腹水が貯留して血清CA125が高値示した2例目の報告である。一例目も74才女性で、甲状腺機能低下症があり大量の腹水が溜まって、血清CA125が684U/mlと高値を示していた。彼女は、甲状腺ホルモン剤の服用を開始し、甲状腺機能が正常になると腹水も消失し、血清CA125も正常化した。血清CA125の正常化は、甲状腺機能が正常化したためか腹水が消失したためか不明であった。

一方、今回の症例では血清CA125の正常化は腹水穿刺で腹水が減少したことと関連しているのは明白である。腹水の存在自体が、腹膜を刺激してCA125の産生を増加させていると考えている。Sevincらは、ネフローゼ症候群、肝硬変、結核性腹膜炎、膵炎のときに卵巣癌のときと同じレベルに血清CA125が増加することを報告している(J R Soc Health 120; 268-270, 2000)

Hashimoto & Matsubaraは、甲状腺機能低下症患者(平均13.0U/ml; 49人)において血清CA125が、甲状腺機能亢進症患者(平均7.6U/ml; 36人)や甲状腺機能正常者(平均5.5U/ml; 46人)と比べて有意に高い(p<0.02)ことを報告している(Endocrinol jpn 36; 873-879, 1989)。しかし、これらの甲状腺機能低下症患者の血清CA125は、軽度増加しているのみである。

結論として、腹水があり、血清CA125高値の患者をみたら、甲状腺機能を調べるべきであるとしている。
. Dr.Tajiri's comment . .
. CA125が異常高値を示す腹水患者を診たら、まず卵巣癌を疑うのが常識です。でも、このように甲状腺機能低下症でも同じ所見がみられることがあるので、甲状腺機能低下症も念頭に置く必要がありそうです。臨床は、やはり難しいです。奥が深い。 .
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