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プロピルチオウラシル(PTU)の長期投与は、抗好中球細胞質ミエロペルオキシダーゼ抗体(MPO-ANCA)を高頻度に誘発する
伊藤クリニック 伊藤淳一 北九州市小倉北区

まとめ
抗甲状腺剤を1年以上服用しているバセドウ病患者について、抗好中球細胞質ミエロペルオキシダーゼ抗体(MPO-ANCA)の出現率を調べた<注釈:MPO-ANCAは、別名p-ANCAともいう>。プロピルチオウラシル<注釈:PTU: プロパジールまたはチウラジール>を服用中の30例では、MPO-ANCA陽性6例(20%)、判定保留7例(23%)、陰性17例(57%)であった。一方、チアマゾール<注釈:日本ではメルカゾール>を服用中の37例は全例、MPO-ANCA陰性であった。プロピルチオウラシルの長期投与は、MPO-ANCAを高頻度に誘発すると考えられた。

[1]はじめに
私は1996年から2000年の4年間に、プロピルチオウラシルが関与したと思われる半月体形成性腎炎(Crescentic glomemlonephritis)、ANCA関連腎炎を各1例、抗好中球細胞質ミエロペルオキシダーゼ抗体(MPO-ANCA, Myeloperoxidase-antineutrophil cytoplasmic antibody)陽性の皮膚血管炎(Cutaneous vasculitis)を2例経験した。

プロピルチオウラシル服用例の急速進行性糸球体腎炎(Rapidprogressive glomerulonephritis)や血管炎の発症には、MPO-ANCAが関与しているといわれている。MPO-ANCAが関与したと思われる腎炎や血管炎の多くは、プロピルチオウラシルの処方を開始して順調に経過し、プロピルチオウラシルの副作用に対する関心が薄れた時期に出現している。私が経験した症例でも、腎炎も血管炎もプロピルチオウラシルの服薬を開始して1年以上経って発症した。急速進行性糸球体腎炎は、発見が遅れると数ヶ月の間に腎不全に陥るといわれている。
臨床医の立場からいえば、薬剤の副作用は、臨床症状が発現する前に防止することが大切と思う。
そこで今回、MPO-ANCA関連の急速進行性糸球体腎炎や血管炎の早期発見と予防を目的に、抗甲状腺剤の1年以上服用しているバセドウ病患者を対象に、MPO-ANCAが出現する頻度を調べた。

[2]症例および方法
今回対象とした症例は、1年以上抗甲状腺剤を服用中のバセドウ病患者の内、2000年11月に当院外来を受診した患者から任意に選んだ、チアマゾール服用中の37例、プロピルチオウラシル服用中の30例、合計67例である。プロピルチオウラシル服用例の大部分は、チアマゾールによる副作用のため途中からプロピルチオウラシルに変更した症例である。

MPO-ANCAを測定した時点では、これらの症例には服用中の抗甲状腺剤による臨床的に明らかな副作用が認められなかった。チアマゾール服用中の症例は、男性6例、女性31例で、平均年齢は48歳、平均服薬期間は98ヶ月だった。プロピルチオウラシル服用中の症例は、男性4例、女性26例で、平均年齢は48歳、平均服薬期間は73ヶ月だった。

採血した血清は凍結保存し、2000年12月1日に(株)エスアールエルに依頼し、MPO固相化マイクロプレートを用いたELISA法で同時に測定した。
MPO-ANCA値は、10EU未満が陰性、10〜20EUが判定保留、20EU以上が陽性と判定した。

[3]結果【別表】
チアマゾール服用中の37例は、全例、MPO-ANCA陰性だった。一方、プロピルチオウラシル服用中の30例では、陽性6例(20%)、判定保留7例(23%)、陰性17例(57%)だった。

プロピルチオウラシル服用中に陽性を示した症例の平均年齢は40歳、平均服薬月数は73ヶ月だった。また、判定保留例の平均年齢は40歳、平均服薬月数は70ヶ月、陰性例の平均年齢は54歳、平均服薬月数は74ヶ月だった。
陽性例のMPO-ANCA値は23EUから72EUだった。

今回の陽性例には、急速進行性糸球体腎炎や皮膚の血管炎を疑わせる所見は1例も認められなかった。甲状腺腫の大きさや服薬量との関係は、今回は検討しなかった。

[4]考察
1978年にGriswold等がプロピルチオウラシル服用中に急速に腎不全をきたした症例を報告した。1993年にDolman等がプロピルチオウラシルにより生じたANCA関連血管炎を報告した。以降、プロピルチオウラシル服用中に発見されたANCA関連腎炎や血管炎が次々に報告されるようになった。

文献では、チアマゾールやCarbimazoleで半月体形成性腎炎(Crescentic glomerulonephritis)を起こしたという報告もある。今回、バセドウ病で抗甲状腺剤療法を1年以上続けている症例について、同時期に採血した血清を同時測定で調べた結果では、チアマゾール服用中の37例では全例がMPO-ANCAは陰性だった。

一方、プロピルチオウラシル例ではMPO-ANCA判定保留例、陽性例の出現率は合計で43%に達した。プロピルチオウラシル服用例に大部分がチアマソールの副作用発現例であるという偏りを考慮に入れても、プロピルチオウラシル服用にMPO-ANCAが高率に出現すると判断した。

今までの報告数の少なさなどからみて、これらMPO-ANCA陽性例が、将来、急速進行性糸球体腎炎や血管炎を発症する頻度はさほど高くないと推測される。急速進行性糸球体腎炎は早期発見が遅れると急速に末期腎不全に到る。

また、MPO-ANCAによる血管炎をMPO-ANCAと関係のないアレルギー性皮膚炎と判断してプロピルチオウラシルの投与を続ければ、引き続き急速進行性糸球体腎炎などを惹起することも十分考えられる。

MPO-ANCA陽性例では、プロピルチオウラシルの服薬を継続することによって惹起されるかもしれないMPO-ANCA関連の急速進行性糸球体腎炎や血管炎などを予防するためには、薬剤あるいは治療法の変更が必要と考える。 いろいろな事情で薬剤の変更や治療法の変更が急にできないMPO-ANCA陽性例でも、全身状態の慎重な観察と定期的なMPO-ANCAの測定が必要と思う。

[5]お礼
プロピルチオウラシルにより誘発されたANCA関連腎炎の診断と治療および文献の提供で福岡県済生合八幡総合病院腎センターの中本離彦先生に、抗甲状腺剤による薬剤性糸球体腎炎の文献検索で小文字病院内科の村井直樹先生(「正しい治療と薬の情報」詩編集委員)に大変お世話になりました。
また、健康保険が適用されないMPO-ANCAの測定では、北九州市小倉医師会北九州中央臨床検査センターと(株)エスアールエルに配慮をいただきました。厚くお礼申し上げます。

[6]補追【参考資料】
7-1
プロピルチオウラシル1年以上服用例のMPO-ANCA陽性率が予想以上の高率だったので、2000年12月以降、プロピルチオウラシル服用例を随時採血し、随時測定した。
2000年11月に調べた症例、および下記(7-2)との重複はない。2001年2月までに調べた41例中、MPO-ANCA陽性が13例(32%)、判定保留が6例(15%)で、陰性例は22例(53%)であった。なお、1年未満服薬の6例(平均服薬期間7ヶ月は、全例、MPO-ANCA陰性だった。
7-2
プロピルチオウラシル服用中にMPO-ANCA高値を示した症例
[15歳 女性 紫斑]
  • 2000年8月17日 MPO-ANCA 179EU(プロピルチオウラシル中止約3週間後)。
  • 220EU(9月16日)、189EU(10月17日)、100EU(12月1日)、63EU(2001年2月10日)。
[64歳 女性 紫斑]
  • 2000年9月21日 MPO-ANCA 207EU。
[36歳 女性 MPO-ANCA測定時の臨床症状なし]
  • 2000年10月25日 MPO-ANCA 215EU。
    MPO-ANCA陽性を確認後の検尿で尿潜血(++)、尿蛋白(-)。
    プロピルチオウラシルをヨウ化カリウムに変更。
  • MPO-ANCA 170EU(12月19日)、163EU(2001年1月19日)、121EU(2月20日)。
7-3
健康保険によるMPO-ANCAの測定について『抗好中球細胞質ミエロペルオキシダーゼ抗体(MPO-ANCA)はELISA法により、急速進行性糸球体腎炎の診断又は経過観察のために測定した場合に算定する(平12.3.17 保険発28)』、『医科点数表の解釈(平成12年4月版 198ページ 社会保険研究所)』。
平成13年(2001年)3月6日、第73回北九州内分泌研究会で公表)

. Dr.Tajiri's comment . .
. このような副作用(PTUによるMPO-ANCA関連腎炎や血管炎)が、甲状腺専門家の間で話題になり始めたのは昨年6月の内分泌学会頃からです。その学会で、いろいろな施設から同じような副作用の報告が出ました。これらの研究で注目されたのは、この副作用の出現時期でした。いままでは、抗甲状腺剤の副作用は服用開始2〜3ヶ月以内というものでした。それ以降は、副作用がないので安心と思っていたわけです。それがPTUによるMPO-ANCA関連腎炎や血管炎は、長期間服用例に起こるということが分かったわけです。この副作用はPTU(プロパジールまたはチウラジール)でのみ、みられるようです。日本では、最初はメルカゾールを使用することが多いですので、PTUを飲んでいる人はアメリカほど多くないと思います。アメリカは通常、PTUを最初に使用する医師が多いのです。ただ、アメリカでは抗甲状腺剤で治療する人は少なく、ほとんどの例でアイソトープ治療が選択されます。薬物治療が多い日本では、今後問題になってくる副作用かもしれません。

幸いに、この副作用は頻度が非常に低いということです。最近、甲状腺専門医19人に「PTUによるANCA腎炎、血管炎の経験がおありでしょうか?」というアンケートを出しました。19人中7人の先生が、この副作用を経験されていました。大ざっぱにいうと、甲状腺専門医の3人に一人はPTUによるANCA腎炎、血管炎の経験があるということです。そこで、経験された7人の先生に「何例経験されましたか?」と質問しました。内訳は4例1人、2例1人、1例5人でした。因みに、わたしは経験がありません。これから考えられることは、この副作用は非常に頻度が低いということです。

もう一つの問題は、PTUを長期間服用している人の20〜30%でこのMPO-ANCA(P-ANCA)が陽性に出ることです。MPO-ANCA(P-ANCA)が陽性だからといって、腎炎や血管炎を起こすわけではありません。MPO-ANCA(P-ANCA)陽性率の高さと実際に腎炎や血管炎などの副作用を起こす頻度の低さを考えますと、どのように対処するのが適切なのか考えさせられます。PTUを長期間服用している人全員に対して、MPO-ANCA(P-ANCA)を調べることが果たしていいのか?腎炎や血管炎などの症状(腎炎や血管炎の症状は関節痛、血尿、蛋白尿、発熱、皮下出血など)がある患者さんに対して、MPO-ANCA(P-ANCA)を調べるのがいいのか?わたし個人の意見は、現時点では症状のある人にだけMPO-ANCA(P-ANCA)を調べる方が実地臨床に適していると思います。

PTUによるMPO-ANCA関連腎炎や血管炎については、以下を参考にしてください。
抗甲状腺剤の副作用
抗甲状腺剤の副作用<PTUの副作用>
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