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妊娠中の甲状腺機能低下症および甲状腺機能亢進症の管理とスクリーニング
Daniel Glinoer
Trends in Endocrinology and Metabolism 1998; 10: 403-411

全体的にみて、全妊婦の10%以上が妊娠中に何らかの甲状腺機能異常を示す。甲状腺機能低下症および甲状腺機能亢進症の高い頻度、母親の甲状腺機能異常の妊娠に及ぼす影響、胎児の発育における影響と同様に母体の甲状腺機能異常の潜在的な役割などを論じることが、妊娠に関連した甲状腺機能の変化の原因となる病理生理学的経過をさらに知るうえで必要不可欠である。この総説では、甲状腺機能低下症に関連した最も臨床的に意義ある観点(自己免疫性甲状腺炎、不妊、流産の危険性、自己免疫性甲状腺炎を持つ女性の甲状腺機能低下症の危険性、甲状腺機能低下症の女性の治療)と甲状腺機能亢進症と関連した最も臨床的に意義ある観点(妊娠中の臨床症状、バセドウ病とその治療、TSHレセプター抗体を持つ母親における胎児性甲状腺機能亢進症、HCGによる妊娠中の一過性甲状腺中毒症)の2点に的を絞って述べたい。また、妊娠中の甲状腺機能低下症および甲状腺機能亢進症のスクリーニングについての包括的な戦略を提案したい。

甲状腺機能低下症と妊娠
一般住民における甲状腺機能低下症の頻度
20年前、英国の北東部において全成人住民に対して甲状腺疾患、特に甲状腺機能低下症のスクリーニングが行われた(the Whickham study)(Tunbridge et al. 1977)。今日においてさえも、このWhickham studyはすばらしい研究である。その後の異なったやり方や別の地域で行われた研究でも、最初のWhickham studyの結果を支持するものである(Wang and Crapo 1977)。世界的にみて、これらの研究では甲状腺機能低下症の頻度は高く、住民の1〜10%であり、しばしばまだ診断されていない例の多いこと、女性に多いことなどを示している。甲状腺機能低下症の最も多い原因は慢性甲状腺炎である。甲状腺自己抗体の頻度は女性では年令が増すにつれて高くなる(45歳以下: 6%、45〜75歳: 10%、75歳以上: 15%以上)。甲状腺機能低下症も年令が進むにつれて、頻度が高くなる。最近の再調査では、Whickham studyは新たな事実を見出した、すなわち、顕性甲状腺機能低下症の頻度としては女性では少なくとも年間に1,000人につき4人が発症し、血清TSH高値と甲状腺自己抗体陽性と甲状腺機能低下症の発症の間には強い関連性があることが分かった(Vanderpump et al. 1995)。そこで、若い女性にも甲状腺自己抗体陽性者が多いために、甲状腺機能低下症が妊娠に影響を与えるか、妊娠によって甲状腺機能低下症の経過に影響を及ぼすのかを考慮することは当然のことと思われる。
甲状腺機能低下症を持つ女性患者の不妊と妊娠
甲状腺機能低下症と不妊の関係はよく知られた事実である。ほとんどの場合、これは主として排卵障害との関係であり、流産とは関係ない。甲状腺ホルモン剤の治療を要する女性は普通の女性と比べて、約2倍の排卵性障害による不妊の危険がある(Garber 1977)
甲状腺機能低下症の女性が妊娠した場合、子宮内胎児死亡、妊娠高血圧症、胎盤剥離、産前産後の不調などの産科的合併症の危険性が増す。いくつかの研究から、充分な甲状腺ホルモン剤治療は上記の合併症を、完全に抑えきれないけれども、ほとんどの場合これらの合併症を改善する(Montaro et al. 1981)。一般的に、子宮内にヨード不足がなければ、甲状腺機能低下症女性の幼児は甲状腺機能異常もなく、健康である。全てに支持されているわけではないが、いくらかの研究では甲状腺機能低下症の女性から出産した幼児は周産期死亡率増加、先天性奇形、出産時低体重などの危険が増すという結果を報告している。しかしながら、貧血や栄養不足などの甲状腺機能低下症に随伴した他の医学的問題が存在するために、甲状腺機能低下症とそれらの問題との因果関係ははっきりしない。最後に、妊娠中に重症甲状腺機能低下症があると、生後もずっと続く精神神経的障害をもつ子供を出産する明らかな事実がある。これは、胎児が甲状腺ホルモンを自分で作り始める前の妊娠5ヶ月までに胎盤を通して母親から与えられる必要な甲状腺ホルモンの不足と関係している(Porterfield and Hendrich 1993)
自己免疫性甲状腺炎と流産の危険性
1990年以降、いくつかの研究で甲状腺機能は全く正常で抗甲状腺抗体のみが陽性の妊婦で、自然流産の頻度が高いことが報告された(Stagnaro-Green 1990)【図1】。要するに、これらの研究は次のことを示している。
  1. 自然流産の危険は妊娠3〜4ヶ月目までの妊娠初期に主に起こる。
  2. 流産の頻度は甲状腺自己抗体を持たない妊婦の2〜4倍高い。
  3. 自然流産の危険は習慣性流産(流産3回以上)の甲状腺自己抗体陽性者でさらに増す。
  4. これらの女性は、ときとして血清TSHが正常上限を少し越えているときもあるが、明らかな甲状腺機能低下症の症状は全くみられない。
甲状腺自己抗体は流産の独立したリスクファクターのようである。例えば、抗カルジオライピン抗体、抗核抗体、抗リン酸抗体などの他の自己抗体とは流産は関連がない(Bakimer et al. 1994)
甲状腺自己抗体と妊娠初期の流産による胎児死亡の危険との間の因果関係は説明しうるか?最も納得しやすい説明は、甲状腺自己抗体の存在が全身の異常な免疫状態を示すサインであるというものである(Geva et al. 1997)。しかしながら、現時点では他の説明も否定できない。この問題を解決するためには、さらに研究を必要とする。例えば、甲状腺ホルモン測定では分からないような軽度の甲状腺機能低下状態が生殖器において何らかの役割を果たしていることが推測される。さらに、我々の研究では自己免疫性甲状腺炎を持つ女性では自己免疫性甲状腺炎のない女性と比べて妊娠年令が2〜3年高いことが分かっている。この年齢差は統計学的にも有意な差である(Glinoer et al. 1991)。ゆえに、自己免疫性甲状腺炎が生殖能力を妨げている可能性があり、そこで妊娠が遅れると思われる。年令が上がるにつれて自然流産の頻度も増加することは明確に確立された事実であるので、この仮説は証明はされていないが、臨床的意義があるかもしれない(Knudsen et al. 1991)
妊娠時の自己免疫性甲状腺炎と甲状腺機能低下症のリスク
1990年6月から1992年12月までの期間中に甲状腺疾患の既往のない連続した1660人の妊婦が甲状腺自己抗体、フリーT4(FT4)、TSH値を調べられた【図2】。自己免疫性甲状腺炎の頻度は6.5%(109人)であり、これは妊娠可能年令の女性の自己免疫性甲状腺炎の頻度と同じである。これらの患者の中で、16人はTSH値が4.0mU/L以上の甲状腺機能低下症であり、4人はTSH値が抑制されFT4値が正常上限の潜在性甲状腺機能亢進症であった。これらの20人については、後ほど述べる。当初、残り87人(5.2%)の妊婦が甲状腺自己抗体を持っていたが、血清TSH値とFT4は正常であった。甲状腺機能は妊娠中定期的にチェックした。妊娠中に甲状腺自己抗体価は予想通り低下したが、一部の人では甲状腺機能低下症になった。すでに妊娠初期(最初の3〜4ケ月)に、甲状腺自己抗体陰性の妊婦と比較して血清TSH値は正常範囲内ではあるが、有意に高めになっていた。出産時、自己免疫性甲状腺炎の妊婦の40%はTSH値は3.0mU/Lを越えており、その半数はTSH値4.0mU/Lを越えていた。妊娠初期には、自己免疫性甲状腺炎の妊婦はTSHの刺激により甲状腺機能を正常に保つことができていたのであろう。産後3日目のFT4はコントロールと比べて、有意に低下する。
平均して、FT4は30%低下し、自己免疫性甲状腺炎の妊婦の半分は甲状腺機能低下症のレベルまで低下する。これらの事実は、甲状腺ホルモン値が低下する妊婦は甲状腺の予備力がないことを示している。一番重要な研究結果は、妊娠初期に血清TSH値と甲状腺自己抗体価から甲状腺機能低下症への進展を予測できるということである(Glinoer et al. 1994)
妊娠中の潜在性および顕性甲状腺機能低下症
甲状腺機能亢進症に対して手術やアイソトープ治療後に起こった甲状腺機能低下症でないのなら、妊娠可能年令の女性で一番多い甲状腺機能低下症の原因は慢性甲状腺炎である。慢性甲状腺炎による甲状腺機能低下症には甲状腺が腫れるタイプと甲状腺が萎縮するタイプがある。住民検診でのデータでは、すべての妊娠の2.5%もの高頻度で診断されない潜在性甲状腺機能低下症が存在することが示唆されている(Klein 1991)。われわれの研究でも、同様に2.2%の診断されない潜在性甲状腺機能低下症(TSH: 4.0〜20.0mU/L)が存在することが分かっている。さらに、FT4は正常下限あたりに偏っている。これらの妊婦は妊娠初期のスクリーニングで診断され、妊娠中甲状腺ホルモン剤(T4: 50〜125マイクログラム/日<注釈:日本ではチラージンS>)の補充を受け、甲状腺機能を正常に保った。潜在性甲状腺機能低下症と診断された41人中16人で、甲状腺機能低下症の原因は慢性甲状腺炎であった(抗TPO抗体が400〜5000U/mlと陽性であった)。残り25人では、甲状腺自己抗体が陰性であり、甲状腺腫や甲状腺機能低下症などの家族歴もなく、慢性甲状腺炎との関連は証明できなかった(Glinoer 1997)
既に甲状腺機能低下症の診断を受けている妊婦に対する妊娠中の甲状腺ホルモン補充量に関して、過去10年間に行われたいくつかの研究では妊娠中は甲状腺ホルモン補充量の調整が必要であることを示唆している。最も説得力のある報告はKaplan(1992)によってなされた。65名の過去に甲状腺機能亢進症で手術やアイソトープ治療後もしくは慢性甲状腺炎のために甲状腺機能低下症になった患者の甲状腺ホルモン補充量の研究により、Kaplanは妊娠前の甲状腺ホルモン補充量で治療していると妊娠中に血清TSH値が著明に増加することを示した。さらに、FT4が平均40%減少し、65名中13%では正常以下になった。そこで、甲状腺ホルモン補充量を40〜100マイクログラム/日増量することで、甲状腺機能は正常に戻る。出産後、甲状腺ホルモン補充量は妊娠前の量に減量できる。
この研究では甲状腺機能低下症の原因によって、妊娠中の甲状腺ホルモン補充量の増量が違うことも報告している。自己免疫性甲状腺炎による甲状腺機能低下症では妊娠に伴って甲状腺ホルモンの必要量が増えても、それに適応できるだけの予備力を備えているのに対し、手術やアイソトープ後に甲状腺機能低下症になった例では、妊娠時の変化に対応する予備力がないために、甲状腺ホルモン補充量を増量しなくてはならない。
妊娠中の甲状腺機能低下症患者に対する注意と管理は以下のような意見の一致したガイドラインがある(Glinoer 1997)
  1. 甲状腺ホルモン補充量は、妊娠中の甲状腺機能低下症患者の少なくとも80%において増量すべきである。増量を必要としない患者は妊娠前の投与量が多すぎた可能性がある。
  2. 妊娠による甲状腺ホルモン需要量の大きな変化のために、甲状腺ホルモン補充量の増量は、既に妊娠初期(3〜4ヶ月)においてさえも必要である。ゆえに、妊娠初期に甲状腺ホルモン補充量の調整は時期を逸さず、行わねばならない。
  3. 甲状腺ホルモン補充量の増量は10%から150%まで大きく個人差があり、平均すると妊娠前の40〜50%の増量になる。だから、それぞれの症例で量を調節する必要がある。
  4. 定期的な診察と血清TSHとFT4の検査は必須であり、内分泌医と産科医の協力も重要である。
妊娠中の自己免疫性甲状腺炎と甲状腺機能低下症のスクリーニング
妊娠中の甲状腺機能低下症のスクリーニングを提案することは次に上げる理由のために正当化される。
  1. 自己免疫性甲状腺炎と甲状腺機能低下症はともに若い女性ではよくみられる疾患である。
  2. 潜在性甲状腺機能低下症はたびたび見逃される。
  3. 産科的なリスクが甲状腺機能低下症と関連している。
加うるに、次に示す根拠に基づいて、妊娠中の自己免疫性甲状腺炎の診断を勧める理論的根拠がある。
  1. 自己免疫性甲状腺炎を持つ妊婦は自然流産の危険が増している。
  2. 甲状腺自己抗体陽性の甲状腺機能正常妊婦は甲状腺機能低下症になりやすい。
  3. 妊娠した翌年に産後甲状腺炎の危険が増す(自己免疫性甲状腺炎患者の50%で何らかの甲状腺機能異常を示す)。
  4. 慢性甲状腺炎の女性は将来、甲状腺機能低下症になる危険があることはよく知られた事実である。
次のようなフローチャートを提案した【図3】。まず最初のステップとして、妊娠初期、できれば12〜20週あたりに血清TSHと甲状腺自己抗体を測定する。理想的には、抗サイログロブリン抗体(TG-Ab)とTPO-Ab抗体価の両方を測定すべきである。しかしながら、経済的な問題でひとつだけと言われればTPO-Ab抗体が望ましい。何故なら、TPO-Ab抗体は自己免疫性甲状腺炎患者の75〜80%で陽性であり、一番鋭敏な指標である。もし、血清TSH値が2mU/L以下で甲状腺自己抗体陰性なら、それ以上の検査は必要ない。血清TSH値が4mU/L以上なら、甲状腺自己抗体の有無に拘わらず、患者は甲状腺機能低下症と考える。このような症例では、血清FT4、特に甲状腺の腫れをみるための超音波、場合によってはTRH試験を行う。これらの検査に基づいて妊娠中の甲状腺ホルモン治療が決められ、甲状腺機能検査は2〜3ヶ月毎にチェックされる。そのような女性は産後も引き続き観察される。フローチャートの2番目のステップは、甲状腺自己抗体陽性の女性に焦点を当てる。この状態では、治療の決定は妊娠初期の血清TSH値に依る。TSHが2.0mU/L以下なら(多くの場合、このような症例では甲状腺自己抗体価は低い)、甲状腺ホルモン治療は正当化されない。
我々は妊娠6ヶ月時に、血清TSH値は測定すべきであり、産後にも経過観察すべきと考える。反対に、甲状腺自己抗体陽性でかつ妊娠初期に血清TSH値は正常であるが2〜4mU/Lの妊婦に対しては(多くは甲状腺自己抗体価が高い傾向にある)、FT4を測定し、FT4値が正常以下か正常下限なら、妊娠の残りの期間を50〜100マイクログラム/日の甲状腺ホルモン治療によって、甲状腺機能を正常に保てると考える。当然のことながら、これらの女性は産後もずっと経過をみる必要がある。
妊娠中に潜在性甲状腺機能低下症に対して治療することの有用性については、まだ直接的な証拠はないので、将来は前向き研究をして、このフローチャートの適切性を示す必要がある。しかしながら、間接的な証明は甲状腺ホルモン治療は害はなく、有益のみであることを強く示している。

甲状腺機能亢進症と妊娠
一般住民と妊婦の甲状腺機能亢進症
成人における甲状腺機能亢進症の疫学的特徴は甲状腺機能低下症の特徴とかなり異なっている。まず第一に、甲状腺機能亢進症は甲状腺機能低下症と比べると全人口の1〜2%と比較的頻度が低く、年間の推定発症率は女性1000人につき0.1〜0.8人である(Wang and Crapo 1997)。二番目に、甲状腺機能低下症の頻度は年令と伴に頻度が高くなるが、甲状腺機能亢進症ではそのことが当てはまらない。主に年令と関連するのは、甲状腺機能亢進症の原因となる病気が何に依るかである。特に、若い患者では、甲状腺機能亢進症の原因は免疫が関与したものが多いし、高齢者では中毒性甲状腺結節によるものが多い。三番目に、上に述べたように、年令、甲状腺自己抗体、甲状腺機能亢進症の間には何の関連もない。
妊娠中、甲状腺機能亢進症は1,000人中2人程度の割で起こってくると言われている(Becks and Burrow 1991)。一般的にみられる甲状腺機能亢進症の原因の他に、妊娠中は2つの特殊なタイプがある【表1】。単発性または多発性中毒性機能性甲状腺結節、亜急性甲状腺炎、無痛性甲状腺炎、医原性甲状腺機能亢進症は非常に稀である。胞状奇胎は常に念頭に入れておかねばならない。
胞状奇胎による甲状腺機能亢進症は、妊娠前に機能性甲状腺結節を持っている妊婦では劇症型甲状腺機能亢進症になる可能性があり注意を要す。しかしながら、通常の胞状奇胎は妊娠初期に診断が容易であり、重症の甲状腺機能亢進症になることは稀である。胞状奇胎による甲状腺機能亢進症は数週間から数ヶ月間続くのみで、原因となる胞状奇胎を切除すれば速やかに改善する(Hershman 1972)。妊娠可能年令の女性の甲状腺機能亢進症の一番多い原因はバセドウ病である。最近、もう一つの原因が注目されてきた。このタイプはhCG(human chorionic gonadotropin)が甲状腺を直接刺激して、時として重症化するが、普通は妊娠の前半に一過性の甲状腺機能亢進症を引き起こす。『妊娠時一過性甲状腺機能亢進症』といわれるこの症候群はバセドウ病と鑑別しなければならない。この2つの病気は経過、病気に伴う胎児のリスク、治療そして経過観察のやり方が異なる(Glinoer et al. 1993, Yoshimura and Hershman 1995)
妊娠時のバセドウ病
臨床的にバセドウ病を診断するのはそれほど難しくはないし、血液で甲状腺ホルモンの高値を確認すればよい。次の3つの状況が病気をみていくのに重要因子である。
  1. 妊娠前からバセドウ病の診断で抗甲状腺剤を服用中の妊婦
  2. 以前に抗甲状腺剤、アイソトープ、手術で治っている妊婦
  3. 妊娠前にバセドウ病の診断が付いていないが、TSHレセプター抗体を持っている妊婦
重要な概念は母胎と胎児の経過は甲状腺機能亢進症のコントロールと直接関連してくる(Mestman 1997)。診断が正しくついている患者では、妊娠初期から治療を即開始すべきである。このような場合は、母子伴に予後は大変よい。反対に、妊娠後半にまだ甲状腺機能亢進状態にある場合は、母子伴に合併症の起こってくる可能性が高くなる(Drury 1986, Davis et al. 1989)。ゆえに、バセドウ病の母親に対しては、妊娠初期の出来るだけ早い時期(10〜12週)にTSHレセプター抗体を測定し、胎児および新生児甲状腺機能亢進症のリスクを評価しておくべきである。手術後、アイソトープ後、妊娠前に抗甲状腺剤で治った状態にある場合でさえも、TSHレセプター抗体は高いままのこともある。TSHレセプター抗体が高ければ、刺激を受けるだけの甲状腺が残っているなら母体の甲状腺はTSHレセプター抗体の刺激を受ける。さらに、重要なのは胎盤を通過して胎児の甲状腺を刺激することである。この場合は、妊娠後半に胎児甲状腺機能亢進症になるかもしれない。
最近の欧州甲状腺学会会期中に行われたシンポジュウムで(Munich,September 1977)、妊娠初期にTSHレセプター抗体が高い場合は、妊娠6ヶ月目にTSHレセプター抗体を再検すべきであるとの結論を発表した。妊娠中期になってもTSHレセプター抗体が低下しない場合は、胎児甲状腺機能亢進症の有無を診断しなければならない。超音波で胎児の甲状腺腫を証明したり、頻脈、成長障害、胎児の過剰運動、骨の発育促進などから胎児甲状腺機能亢進症を診断する。疑わしい症例では、臍帯血を採取して胎児の甲状腺機能をみて、必要とあらば抗甲状腺剤の治療を開始する(Skuza et al 1996, Polak et al. 1997)。一般的には、未治療バセドウ病の母親の胎児の合併症の危険性が9倍なのに対して、母体の甲状腺機能亢進症をしっかりコントロールしていれば、胎児の合併症の危険性は2倍に減少する(Mestman 1997)。胎児に対する明らかな危険性はDavisら(1989)によって示された。甲状腺機能亢進症をしっかり治療している母親では、死産、早産、奇形、甲状腺クリーゼなどの合併症が19%にみられるが、この頻度は社会的経済的状態の同等な一般の人と同じである。
しかし、未治療のバセドウ病の母親では、胎児のほぼ100%で上記の合併症の少なくとも一つを持つ。早産のみでみると胎児の50%でみられる。これらの合併症は母体の甲状腺機能亢進症による心不全、心房細動、前子癇などの産科的影響の結果と思われる。

バセドウ病による甲状腺機能亢進症は妊娠初期には一時的に症状が悪化するが、一般的に妊娠が進むにつれて落ち着いてくる。この妊娠後期のバセドウ病の落ち着くことに対して3つの理由が考えられる。妊娠は免疫的に抑制された状態にあり、TSHレセプター抗体の抗体価が低下することで、説明されている(Geva et al 1997)。妊娠初期にサイロキシン結合グロブリン(TBG)は増加し、甲状腺ホルモンの結合能が増し、その結果血清FT4,FT3濃度が低くなる。妊娠に伴って起こるヨード不足が甲状腺ホルモンの原料不足により甲状腺の働きを落とす。逆説的に言えば、ヨード不足がバセドウ病妊婦の甲状腺機能を落ち着かせているとも考えられる。 妊娠中のバセドウ病の典型的で順調な経過は絶対的なものではない。TSHレセプター抗体は常に低下するわけではないし、多分hCGによる甲状腺刺激の結果として、妊娠初期にバセドウ病の増悪があるかもしれない(Amino 1982, Tamaki 1993)
妊娠時のバセドウ病の治療
妊娠中のバセドウ病を取り扱った多くの研究をまとめると、バセドウ病の治療に対して次のような実地臨床の原理が提案される(Hamburger 1992, Glinoer 1997, Mestman 1998)
妊娠前にバセドウ病と診断されていないときには、正常妊娠でも代謝が亢進していることがあるので、バセドウ病を常に疑うとは限らない。特に注意すべき点は、自己免疫性甲状腺炎の家族歴、甲状腺腫の有無、眼症の有無、以下のような甲状腺機能亢進症を疑わせる症状;暑さに弱い、暖かくて湿潤した皮膚、頻脈、脈圧拡大、体重減少、妊娠初期の嘔吐である。つわりのある妊婦は全員、甲状腺機能を調べるべきである。妊娠中に診断されたバセドウ病の妊婦に関しては、治療のルールをしっかり決めておくべきである。抗甲状腺剤の副作用などのために、妊娠中期に手術をしなければならない場合を除けば、患者は例外なく抗甲状腺剤で治療されるべきである。抗甲状腺剤の投与量は必要最低限に留めるべきであり、可能ならいつでも抗甲状腺剤を中止すべきである。妊娠4〜6ヶ月頃にクスリを中止できることがある。胎児の甲状腺ホルモンを正常にする目的で、母親へ甲状腺ホルモン剤を投与している場合は、そのことをあまりあてにすべきではない。抗甲状腺剤の胎盤を通過する量からすると、甲状腺ホルモンのそれは微々たるものである。必要最小限の投与量を守っていれば、プロピールチオウラシル、メルカゾールまたはカルビマゾールのどれを使用しても良い。母親の甲状腺ホルモン値は正常内の上1/3に保つべきである。その値を保つと胎児の甲状腺ホルモンは丁度正常の真ん中あたりを保つことが分かっている。最後に、出産後にも抗甲状腺剤を服用しなければならない女性は授乳中であっても、メルカゾール30mg/日やプロピールチオウラシル150mg/日以下の少量なら、抗甲状腺剤の服用を続けるべきである<注釈:プロピールチオウラシル150mg/日はともかく、メルカゾール30mg/日は少量ではない。特に、メルカゾールは乳汁中に出るので、授乳中はプロピールチオウラシルの方が良いと思う>。
妊娠時一過性甲状腺機能亢進症(Gestational Transient Thyrotoxicosis; GTT)
正常妊娠時に非自己免疫機序で起きる甲状腺機能亢進症が最近の総説にて明らかにされた(Glinoer 1997, Mestman 1998)。妊娠時一過性甲状腺機能亢進症はバセドウ病の既往のないことやTSHレセプター抗体陰性などから、バセドウ病とは異なる。妊娠時一過性甲状腺機能亢進症は多くの場合、一過性なので、常に症状があるとは限らない。この病気の原因は甲状腺へのhCGの直接的な刺激である(Glinoer et al. 1993, Kimura et al 1993, Tsuruta et al. 1995)。最新の研究では、妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の頻度は全ての妊娠の2〜3%みられ、これはバセドウ病の10倍の多さである。一過性という特徴のために、症状が常にあるわけではないし、診断さえされないこともある。
臨床的には、体重減少、頻脈、倦怠感などの甲状腺機能亢進症でみられる他覚症状と自覚症状は妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の患者の半分でみられる。つわりは最も甲状腺機能亢進症状の強い妊婦でよくみられ、一部では入院を必要とすることもある。ほとんどの妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の患者は治療の必要がない。症状は短期間のベータ遮断剤の投与で改善する。希に、症状が強い場合に、プロピールチオウラシルの治療を要すこともあるが、通常数週間で十分である。我々が診た症例では、すべて妊娠時一過性甲状腺機能亢進症は一過性であり、血清FT4の正常化は血清hCG濃度の低下と平行する。妊娠時一過性甲状腺機能亢進症は妊娠に悪い影響は与えない。
最近、我々は正常の妊婦でもhCGが長期間高いレベルを保つと一過性の甲状腺機能亢進症になりうるという考えを支持する研究を発表した(Grun et al. 1997)。双子の妊娠は、hCGの高い状態である。双子を妊娠している妊婦を対象として、妊娠初期の妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の発生頻度を調べた。これらの妊婦では人工授精による妊娠のために、妊娠月数は正確に知ることができた。
人工授精による妊娠で妊娠した単体胎児を身ごもった妊婦と比較した【図4】。この研究から、双子の妊婦では血清hCGのピークが単体妊娠妊婦のそれの2倍に増加しており、長期間高値を保った。平均すると、単体妊娠ではピークhCGは75,000U/L以上になるが、1週間足らずで減少し始める。それに反して、双子妊娠ではピークhCGは100,000U/L以上(しばしば200,000U/Lを越える)になり、数週間ピーク値を保つ。甲状腺への影響は我々の仮説と一致した。双子妊娠の場合は血清TSH値の低値の頻度が3倍多く、血清T4値も正常値をたびたび越していた。これは、妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の症状を表していることを示している。
HCGレベルの高値とその持続が観察されるが、妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の正確な機序ははっきりとは分かっていない。可能性としては、妊娠時一過性甲状腺機能亢進症では分子構造の異常変異を来したhCGが作られ、これは半減期が長く、刺激も強うと考えられている(Truruta et al. 1995)。妊娠時一過性甲状腺機能亢進症では一過性にhCGの調節異常が起こるのではないかと考えられてきた。特にβ-hCGが増加し、この時期の妊娠段階では正常のhCGの生成においてαとβサブユニットの割合は決まっている。双子を例にとると、甲状腺を刺激するのに充分な期間、血清hCG濃度が75,000〜100,000U/Lを保つなら、増加したhCGの直接効果で妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の発症は説明できる。要するに、我々は、妊娠時一過性甲状腺機能亢進症はピークhCGの量と期間に直接関連していると確信している。最後の説明になるが、甲状腺を刺激するhCGの作用というのはLHとTSHの分子配列が似ている(Vassart and Dumont 1992)のと同じように、hCG とTSHの分子配列が大変似ているということが一番の説明になる。この観点で、妊娠時一過性甲状腺機能亢進症はホルモンの配列やレセプターの分子構造が似ていることに基づいて起こる新しい疾患概念、内分泌『過剰(あふれ出)』症候群のうちのひとつと考えられる(Yoshimura and Hershman 1995)
最後に、妊娠時一過性甲状腺機能亢進症は吐き気(早朝吐気)、嘔吐、妊娠悪阻を伴い、ひどくなると入院して、治療を要す(Goodwin et al. 1992)。嘔吐と甲状腺ホルモン異常の関連性を示したいくつかの研究がある。バセドウ病妊婦では嘔吐の症状はないので、妊娠悪阻は妊娠時一過性甲状腺機能亢進症に随伴する症状のように思える。しかしながら、妊娠初期に嘔吐する症例の全てが甲状腺機能異常のためでないことは当然のことである。
妊娠中の甲状腺機能亢進症のスクリーニング
今までに示した情報に基づくと、妊娠中の甲状腺機能亢進症は今まで想像していたよりずっと頻度が高いと思われる。バセドウ病と妊娠時一過性甲状腺機能亢進症を足すと、全妊娠の3〜4%にみられる。妊娠中の甲状腺機能のスクリーニングには正当性があることを提案している(Glinoer 1998)。最初のところで述べたように、自己免疫性甲状腺炎と甲状腺機能低下症のスクリーニングは正当化されるので、妊娠中の甲状腺機能低下症のスクリーニングによって得られる情報から、甲状腺機能亢進症のスクリーニングのやり方が導き出せるかもしれない。
そのようなやり方のフローチャートは【図5】に示す。この戦略は妊娠初期(10〜12週)における血清TSH値と抗TPO抗体測定の有用性に基づいている。
まず最初に、TSHが抑制されていて抗TPO抗体陽性なら、血清FT4とTSHレセプター抗体を測るべきである。フローチャートのこのグループは自己免疫の機序による甲状腺機能亢進症の診断が付く。年1,000〜1,500人の出産のある病院なら、年3〜5人見つかる。 2番目に、TSHが抑制されているが抗TPO抗体陰性なら、血清FT4とhCG濃度を測定すべきである。フローチャートのこのグループは非自己免疫の機序による妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の診断が付く。年1,000〜1,500人の出産のある病院なら、年30人程見つかる。
3番目に、バセドウ病治療中も含めたバセドウ病の既往のある妊婦は全て、フローチャートの第2ステップでTSHレセプター抗体を測るべきである。バセドウ病治療中なら、当然血清FT4も測るべきである。治療中やクスリを中止して甲状腺ホルモン値も正常であるがTSHレセプター抗体が高値のままの症例では、TSHレセプター抗体は妊娠中期の終わりまで測定すべきである。この検査は、バセドウ病に関連した母体の自己免疫の診断や胎児の甲状腺機能亢進症の疑い、そして胎児の発育を観察するために正当化される。 最後に、妊娠中に自己免疫性甲状腺機能亢進症と診断されたか疑われた全ての症例は産後甲状腺炎や甲状腺機能亢進症の産後の悪化がみられる可能性があるので、産後1年間は抗TPO抗体、TSHレセプター抗体、甲状腺機能を定期的に調べるべきである。

結 論
妊娠中の甲状腺機能の生理的適応についての最近の研究や妊娠に付随する病的変化についてより進んだ解明から得られる知識にも拘わらず、妊娠中の甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症は臨床上の難しい問題点を持っている。
この総説では、妊娠中の甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症に関連した臨床的に意味のある問題について論じ、そして甲状腺機能異常の面では全く正反対の病気をスクリーニング、診断、治療について一緒の戦略の中に統合しようと試みた。

. Dr.Tajiri's comment . .
. コンパクトにまとめられた優れた総説でした。甲状腺自己抗体陽性のみで流産の危険性が2〜4倍高くなることや妊娠時一過性甲状腺機能亢進症の頻度がバセドウ病の10倍あることなど驚きでした。ただ、残念なのは百渓先生の論文がひとつも引用されていなかったことです。これは、片手落ちだと思います。著者の論文の引用が多いのは分かるのですが、百渓先生の業績からすると当然、この総説には引用すべきです。 .
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参考文献]・[もどる