第16章:長引く甲状腺ホルモンバランスの乱れの影響を治すには

甲状腺ホルモンバランスの乱れに悩んでいる場合、普通は適切な治療で治ります。しかし、時には甲状腺機能低下症や機能亢進症の身体的、精神的症状が消えてしまった後でも、まだ元どおりの自分に戻っていないように感じる場合があります。さらに、バランスの乱れがひどかったり、長期間続いていた場合は、感情的問題や不安、抑うつ症状が続き、そして何らかの認知障害が残留することもあるのです。その結果、検査の上でも医学的にも甲状腺ホルモンバランスの乱れはなくなっているのに、自分が正常だと思えない場合もあります。

甲状腺機能亢進症と甲状腺機能低下症はあなたの脳をかき乱します。ホルモンバランスの乱れがごく軽いもので、短期間である場合には完全に回復するかもしれませんが、長期間バランスの乱れが続くと、適切な治療を受けた後でも長いこと精神に影響が及ぶことがあります。甲状腺ホルモンバランスの乱れは、長期にわたるアルコール中毒や薬物濫用と同じように脳の化学作用に影響を与えます。それでも、あなたがかかっている医師は、そのような長引く影響について知らないかもしれません。そのようなことは広く宣伝されたり、論議されたり、あるいは教えられたりすることがなかったからです。

この点で、従来の医療はいつまでも症状が続いている甲状腺疾患患者に対して不公平なものとなっていたのです。医師は、治療が正しく行われているかどうかを血液中のホルモンレベルを測定することによって評価するので、臨床検査の結果を見てこう言うでしょう。「甲状腺の検査は正常です。ですから、あなたの症状は甲状腺が原因ではありません」それでも、あなたは心の奥底で、いつまでも症状が消えないのは何か甲状腺と関係があるのではと思うかもしれません。そして、それは間違っていないのです。

水道料金が先月倍になったと想像してみてください。どこか家の中に水が漏れているところがあるのではと疑うはずです。配管工を呼んで配管や流し、トイレを調べてもらいます。ところがどこにも水漏れが見付からず、配管工がこう言います。「私にはどうしようもないですね」しかし、メーターから家に行く外の配管のところに水漏れがあるのです。あなたが呼んだ配管工はそのことを見なかっただけでなく、自分の仕事ではないとさえ思っていたのかもしれません。この状況が甲状腺疾患の後遺症とそっくりなのです。その症状は甲状腺の病気を治療している医師が無視してしまったり、症状の性質のため、患者が精神科医に紹介されてしまうことがよくあるのです。これらの症状は慢性であっても、気分障害の厳密な基準には当てはまらない場合があり、そのために患者の中にはさらに欲求不満が募り、何が何だかわからないままの人もいるのです。

もっとも広く読まれている内分泌学の教科書の一つにこう述べられています。「甲状腺ホルモン治療を開始したら、甲状腺機能低下症の精神面の障害は、正常な代謝の修復に遅れて回復することが多い(1)」しかしながら、大抵の医師はその時間的遅れがきわめて長い場合があるということには触れていないのです。この現実が患者や家族、そして友人につきまとい、多くの医師を当惑させています。

うつ病から長引く不安やストレスまで

甲状腺機能低下症の患者でいちばん多い後遺症は、最初甲状腺ホルモン欠乏によって引き起こされ、なかなか治らないうつ病です(2)。この種のうつ病は独立した疾患となり、血液中のホルモンレベルが正常になった後でも軽減したり、変化がないことがあります。私の外来患者に対して行った調査では、甲状腺ホルモン治療により血液検査の結果が正常になった患者の25%にうつ病の症状が続いていることがわかりました。多くはまだ疲労が続いており、“いつもの”自分自身に戻っていないと報告しています。長期にわたる甲状腺機能低下症で外傷後ストレス症候群と同じような状態になる場合もあります。そのような場合、患者の甲状腺疾患で直接、あるいは間接的に引き起こされたうつ病が仕事や私生活に非常なストレスを与え、いつまでもよくならなかったり、どうしようもない状態になってしまうこともあります。

一部のケースでは、長引くうつ病や不安が、新たなストレスに反応して現れてくる時以外は、気付かれないままに過ぎることがあります。患者の一人、ロンダはこう言っておりました。「甲状腺ホルモン剤の量が安定した後、うつ病は軽くなりました。でも、何らかのストレスが生じてくると、経済的なことことか、職場のトラブルなんかですが、すぐに再発するんです。ストレスがない限り、また私の甲状腺ホルモンレベルが安定している限り、大丈夫なんですけど」

かなり長いこと甲状腺ホルモンバランスの乱れの治療を受けなかったバセドウ病患者の多くは、活動し過ぎの甲状腺が治った後も、バセドウ病になる前より感情的に寛容性が低くなり、回復力が落ちます。そのような患者は、まだ落ち込んだり、不安を感じているだけでなく、怒りや短気さを感じている場合があります。Journal of Neuropsychiatry and Clinical Neuroscinence(神経精神医学と臨床神経科学雑誌)に発表された最近の調査結果から、甲状腺ホルモンレベルが正常になってからかなり時間の経ったバセドウ病患者に、記憶や注意力、計画性、および生産性などの重大な障害がまだ残っていることがわかりました(3)

最後に甲状腺機能亢進症の症状が出てから2年半経った後でも(4)、甲状腺の機能が正常に戻り、症状が寛解している患者の不安やうつ病、心気症、引きこもり、および認知機能障害を経験している頻度が正常な場合より、また病気になる前より高いことがわかったのです。しかし、甲状腺機能を正常に保つことで、そのような後遺症は時間が経つと最後には消えていきます。

どうしてそのような症状がいつまでも続くのかはよくわかっていません。甲状腺機能亢進症が、一種のひどい精神的ストレスであり、強制収容所の生存者に起こったような脳機能の異常が残る可能性が考えられます(5)

ティファニーは2年間バセドウ病の診断を受けずにおりましたが、適切な治療を受けてから、少なくとも1年間甲状腺の検査結果は安定していました。
フォローアップの受診で、彼女はどうしても病気になる前の自分とは同じでないように感じると訴え、どうしてそのように感じるのかわけを知りたいと言いました。

バセドウ病だった時ほど悪くはないんですが、どうしてもそう感じてしまうんです。今ではずいぶん我慢強くなりましたが、それでも時々怒りに襲われることがあります。まるで一人ぼっちで暮らしているみたいです。たぶん落ち込んでいるのかもしれませんが。

私には甥が2人います。月に一度会えればそれでいいし、2人共私のところから20キロ足らずのところに住んでいるんです。今まで大食いすることは全くなかったんですが、今では食べ物が異常に欲しく、特に午後、緊張し、疲れている時に食べたくなります。大体私は気前のいい人間なのに、今では誰にも何もあげたくないのです。バセドウ病のために私は変わってしまいました。

ティファニーのスタミナやエネルギーレベルはもはや病気になる前と同じではありません。彼女のケースや彼女のような他の人のケースは多くの疑問を投げかけます。彼女が今では正常な血液中のホルモンレベルを維持するのにT4の錠剤に頼っているので、正常状態では甲状腺が作っていたT3がほんのちょっと足りないために彼女は違うように感じたり、元気がないのでしょうか?いつまでも続く化学物質のバランスの乱れが彼女の寛容さや気分、そして怒りに悪影響を及ぼしているのでしょうか?もしそうなら、この化学物質のわずかなバランスの乱れが残っているのは、彼女が甲状腺機能亢進症であった時に脳細胞が甲状腺ホルモンであふれかえったためなのでしょうか?あるいは、甲状腺機能亢進症からくる圧倒的なストレスが彼女をある種の外傷後ストレス症候群の状態にしたのでしょうか?

つきまとい続けるうつ病や感情の不安定性の本当の原因が何であれ、リラクゼーションやヨガ、および体操のような精神─体テクニックを少なくとも週3回行うことで、効果をあげることができます(中には毎日行う必要がある人もいます。精神─体テクニックについての詳細は《第18章》をご覧ください)。そうすることによって、これらの変化を自分で克服し、疲労や心的対処能力の低下、および集中力や記憶障害に効果を得ることができます。数ヶ月のリラクゼーション活動と規則的な運動を行った後、冷静さや寛容さのレベルは劇的に改善しました。この間彼女の甲状腺ホルモンレベルは正常に保たれていました。

症状がひどい場合は、選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)のような抗鬱剤で効果が得られる可能性があります。次の章で、T4とT3を組み合わせることがどのように長引く症状の解決となる場合があるかということを述べます(《第17章》参照)。

長引く影響を避けるために精神─体テクニックを使う

音楽療法やダンスあるいは運動療法、ヨガ、太極拳のようなテクニックは、精神力を高め、体の機能を司る能力を高めます。これらの方法は、自分の体のイメージや自尊心にも多大なプラス効果を及ぼします。また、うつ病にも効果があり、コミュニケーション技能の向上にも効果が出ることもあります。自分のライフスタイルにいちばん合ったテクニックを選んでください。例えば、時間に制約があるため、エアロビクスプログラムと音楽療法を一緒に組み合わせて受けたい場合もあるかもしれません。太極拳にエアロビクスのようなタイプの運動とリラクゼーションを組み合わせたものでは、私の患者の多くで目を見張るような効果が得られました。なかなかよくならない不安やパニック発作に悩んでいる場合は、瞑想とバイオフィードバックで解決できる可能性があります。バイオフィードバックを行なっている間、体のある部位にいくつかセンサーを貼り付け、不随と見なされている体の機能を感知し、モニターする装置に接続しますが、練習を通じてその機能をコントロールする方法を学ぶことができます。しかし、バイオフィードバックや瞑想を選んだ場合でも、エアロビクスの運動を忘れないようにしてください。

中には他の健康上の問題があり、運動できない人もいますが、そのような場合は誘導イメージトレーニングやアートセラピーが効果的です。誘導イメージトレーニングでは、リラックスしやすいようなイメージや感覚に集中します。多くの臨床家がこれは免疫力を高める効果があると信じています。間違いなく不安を軽減する効果はあります。

自助グループは、後遺症に悩む人達が症状にもっとうまく対処したり、回復を早めたりするために、いざというときに頼れる重要な精神─体の情報や人手を与えてくれるところです。グループでのミーティングや個人の考えを述べること、また他の人と互いの経験を話し合うことが、肥満からアルコール中毒にまで至る様々な悩みに苦しんでいる多くの人の回復過程で、その精神や態度、および行動に重要な役割を果たすのです。これらのグループはあなたが一人ではないと感じさせ、わからせてくれます。アメリカ甲状腺疾患患者財団の医学部長としての関わりを通じて、甲状腺疾患患者が集い、自分達の症状や問題を話し合う会合の効果を何度も目の当たりにしてきました。精神─体テクニックをグループ内の他の患者と一緒に始めたいと思う場合もあるでしょう。最寄りの患者支援グループを捜すには、主な甲状腺疾患患者団体をご覧になってください。

カウンセリングと心理療法

多くの甲状腺疾患患者がカウンセリングを必要とします。カウンセリングと心理療法は精神─体プログラムの重要な部分です。治療は甲状腺検査結果が正常になったら、長引く苦しみに打ち勝つことができるようにデザインすることができます。カウンセリングも甲状腺ホルモンバランスの乱れにより生じた多くの個人的問題や人間関係の問題の解決に効果があります。前のように働けなかったり、人間関係の問題があると、死別の悲しみと同じような喪失感を生じます。自分の生活をコントロールできなくなったと感じたり、甲状腺の病気になる前のように幸せが戻ってこないと感じているかもしれません。カウンセリングを受けることによって、喪失感と折り合いをつけ、人生や将来について希望を持ち、もっと楽観的に考えられるようになります。

それでも多くの医師は、患者にカウンセリングを行なっていません。初期医療の現場であっても、カウンセリングが必要なうつ病患者の3分の1がせいぜい“3分間のカウンセリング”を受けているに過ぎません。前納式のヘルスケアプランではさらにカウンセリングの欠如がひどくなります(6)。多くの患者は診断がつくまでにたいへんなストレスをすでに受けているのです。そして多くはホルモンバランスの乱れにより生じた個人的、あるいは仕事上の問題に対処し続けていかねばならないのです。これらの心理的問題に取り組む必要があり、セラピストはこれらの問題に対処することができます。

支持的心理療法が長引くうつ病や不安に苦しんでいる患者にいちばん必要なものです。他にも効果のある心理療法の実際的な方法があります。行動心理療法では、セラピストがあなたの生活の中の何が症状を引き起こしているのかを見分けることに重点を置くでしょう。この目的は、状況を理解し、それに対する反応の仕方を変えることにあります。認知療法では、セラピストが症状を引き起こしていると思われる思考パターンを探ります。この方法はあなたの無意識な葛藤に取り組むものではありませんが、症状を治すことに目標が定めれています。心理療法は、感情のバランスを取り戻し、ストレスにうまく対処できるようになり、また防衛メカニズムを強化する効果があり、そのため自分のコントロールを取り戻すことができるのです。行動/認知療法は、軽度のうつ病や不安障害において、投薬治療と同じくらいの効果があることが示されています(7)

結婚生活あるいは夫婦間の問題に対するセラピーも必要になる場合があります。初期医療担当医または内分泌病専門医に紹介を頼んでください。おそらく結婚生活の問題を扱う上で相当の経験を積んだ有能なセラピストを何人か知っていると思われるからです。夫婦間の問題を扱うセラピストが精神科医や心理療法士、あるいは精神医学のソーシャルワーカーである場合があります。2人か3人推薦してもらい、セラピストと会ってその人が受けたトレーニングや経験、および学位などについて話しをした上で、誰にするか決め、治療を受け始めるようにしてください。

最後に、精神力動学的心理療法がありますが、これは無意識の葛藤や心理的葛藤の根本原因を解決することに焦点を当てる治療法で、甲状腺ホルモンバランスの乱れが深く根を下ろした問題を覆い隠している患者や甲状腺ホルモンバランスの乱れとは無関係な心理的問題を抱えている患者に必要な場合があります。精神力動学的心理療法は費用が高く、長くかかるタイプの治療ですが、深く根づいた心理的問題に取り組む唯一の方法であります。

正しい抗鬱剤の選択

感情的症状が抑え切れなくなり、うつ病とストレスの悪循環を断ち切ることができない場合、抗うつ剤を飲むことで効果があると思われます。抗うつ剤は不安症状にも効果があります。

抗うつ剤を使用する場合は、いちばん多く出る副作用とそれがどのくらいの頻度で出るかを知っておく必要があります。また、抗うつ剤が効き始めるまでにかかる時間についても知っておく必要があります。多くの場合、気分を高揚させるのに少なくとも6週間から8週間必要です。8週間経った後でも、量を増すことで大きな違いが出ることがよくあります。[表6]にいちばん多く処方される抗うつ剤を挙げております。

すべての抗うつ剤の効力は同じです。医師は、自分の投薬の経験に基づき、起こりうる副作用も考慮した上で抗うつ剤を選択します。SSRIは多くのタイプのうつ病に最初に選択される薬ですが、それは他のタイプの抗うつ剤に比べ起こりうる副作用の頻度が少なく、その副作用も軽いものであるからです。様々なSSRIの間にはいくらか違いはありますが、その違いはごくわずかです。

いちばん多く使われるSSRIにはフルオキセチン(プロザック)、セルトラリン(ゾロフト)、およびパロキセチン(パキシル)があります。これらの薬はうつ病の治療だけでなく、強迫障害にも効果があります。ゾロフトはパニック発作が続く場合にきわめて効果的です。一般的に、いちばん多い副作用は吐き気と頭痛ですが、これは2週間以内に治まることが多いのです。吐き気は食べ物と一緒に薬を飲むことで避けられます。それ以外の副作用としては、不眠、神経過敏状態、疲労、性的機能障害、鎮静、および不安興奮があります。セルトラリンは他の薬より下痢を起す頻度が高い傾向があります。これらの副作用も大抵、時間が経つと治まります。

モノアミンオキシダーゼ阻害剤をこれらの薬のどれか一つと一緒に飲んではなりません。この2種類の薬を一緒に飲むと“セロトニン症候群”を起す恐れがあります。これは不安興奮や下痢、筋の不随意運動、震え、高熱、高血圧が特徴で、時にてんかん発作さえ起きることがあります。L-トリプトファンまたはトリプトファン代用品をSSRIと一緒に飲むと同じ合併症が起こる恐れがあります。

治療により血液中の甲状腺ホルモンレベルが正常になった後、様々な抗うつ剤の有効性を比較した科学的研究はまだ行われておりません。しかし、私は大抵SSRIを最初に使うようにしています。これはこの系統の抗うつ剤には副作用が少ないからです。

SSRIが効かない場合や有害な反応が起きた場合は、アミトリプチリンやノルトリプチリン、あるいは非定型抗鬱剤のような三環系抗うつ剤を次の手段として使います。三環系抗うつ剤はうつ病の治療やパニック発作のコントロールに効果があります。不安興奮や食欲喪失がある場合は、ドキセピンがよいでしょう。あまり眠り過ぎるようでしたら、デシプラミンに覚醒効果があります。三環系抗うつ剤にいちばん多い副作用は、体重増加、鎮静、口腔乾燥、性的問題、便秘、日光過敏症、尿閉、視野がぼやける、頻脈と心拍の問題、および立ったり座ったりする際のめまいです。

今日では、三環系抗鬱剤は非常に副作用が多いためにほとんどは使われなくなってきています。それにもかかわらず、うつ病がSSRIに反応しない場合は三環系抗鬱剤の服用で解決できる可能性があります。私は、三環系抗鬱剤が夜間の睡眠に問題のある患者(バセドウ病の患者が多い)や重大な不安症状のあるなかなかよくならないうつ病のある患者に対してはいちばん効き目のある薬であることを見出しました。

非定型抗うつ剤は、様々な神経伝達物質の組み合わせに影響を与える薬で、使用が増えてきております。一般的に、SSRIが効かない場合は医師がこの薬に切り替えます。私は、甲状腺疾患患者にはミルタザピンを使っても効かないことを見出しました。この薬には相当の食欲増進作用があり、しばしば体重増加を引き起こします。ミルタザピンのその他の副作用は、鎮静、めまい、口腔乾燥、および便秘です。しかし、トラゾドンやネファゾドンは不眠症に悩んでいる患者には効果があります。普通は、うつ病の治療に必要な量より少ない用量で不眠症の治療に効果をあげることができます。この2つの薬のどちらかを少量与えると、SSRIがよく効くようになります。ブルプロピオンは禁煙に効果があるとして、最近メディアの注目を集めている薬ですが、この抗うつ剤はほとんどの患者にエネルギーを与える効果を及ぼします。その副作用には、不安興奮、不安、不眠、頭痛、そして希にてんかん発作があります。ベンラファキシンはSSRIの効果を強くしたものと考えられることが多いのですが、セロトニンとノルアドレナリンの両方に対する新しい選択的再取り込み阻害剤です。副作用も少ないようですし、SSRIの一つで期待したほどの反応が見られなかった場合に効く可能性があります。また、他の抗うつ剤に比べて効き目が早いようです。知っておく必要のある副作用には、拡張期血圧の上昇や頭痛、吐き気、および神経質などがあります。

今では医師がMAO(モノアミンオキシダーゼ)阻害剤を、非定型うつ病には効果があるものの、うつ病治療の最後の手段となる薬とみなしています。MAO阻害剤はうつ病の緩和に非常に有効ですが、時に睡眠障害や高血圧、性的問題、および体重増加のような副作用を起すことがあり、取り扱いが厄介なものです。MAO阻害剤を飲んでいる場合、食餌に注意を払い、チーズやチョコレートのような化学物質のチラミンを含む多くの一般的な食物を避ける必要があります。この組み合わせで、重症の高血圧やその他の重大な心臓の問題を引き起こすことがあります。MAOはある種の薬と一緒に飲むと、やはり同じ問題を生じます。

炭酸リチウムは双極性障害、特に躁うつ病に多く使われる効力の高い抗うつ剤です。SSRIまたは三環系抗うつ剤に反応しない患者に、医師の中には抗うつ剤の効き目を強めるため、リチウムを加える者もおります。研究では、リチウムの代りにT3を加えても同じくらい効果があるということが示されています。完全な効果を得るには、リチウムの用量を1日900から1,500ミリグラムにまで増やさねばならないことが多く、甲状腺の問題や尿崩症(尿量の増加を引き起こす)、高カルシウムレベル、および腎臓の問題などを含むリチウム中毒作用を避けるために医師が血液中のレベルをチェックする必要があります。

いちばん多く使われている抗不安薬はバリウム、リブリウム、ザナックスおよびアチバン(すべてベンゾジアゼピン系です)とブスパール(非ベンゾジアゼピン系)です。副作用には、鎮静、錯乱(ごく希)、および協調運動障害があります。薬物依存を起す可能性があるので、長期間ベンゾジアゼピン類を飲まないようにしてください。これは長期間にわたってベンゾジアゼピンで治療を受ける人が直面する主要な問題の一つです。

一般的に、抗鬱剤を飲み始めたら、治療は少なくとも6ヶ月続けられ、必要であれば1年から2年治療期間を延長します。ここに述べたどの抗鬱剤を飲んでいてもうつ病が再発することがあります。不活発な甲状腺があり、甲状腺ホルモン剤を飲んでいる場合、T4だけよりT4とT3を合わせて使用する方がうつ病の再発予防に効果があります(T4/T3を組み合わせた治療の詳細は《第17章》をご覧ください)。この組み合わせの処方を使えば、従来の抗鬱剤の量を減らして飲みながら、うつ病のコントロールがもっとうまくできます。これによって副作用の出る可能性も低くなります。

持続的な甲状腺ホルモンバランスの乱れの認知機能への影響

「まるで私の脳が10歳も年取ったみたいです」シェリルは最初に私の診察室に来た時にこう言いました。シェリルは47歳で、ほぼ2年間活動し過ぎの甲状腺の診断を受けておりませんでした。放射性ヨード治療を受けた後、彼女は甲状腺機能低下症になり、前の内分泌病専門医から適切な量のサイロキシンを処方されておりました。血液検査の結果は正常を保っていましたが、彼女は知的能力や認知能力にいくらか障害があり、それで苦しみ続けていました。

彼女はこう続けました。「いちばん大きな問題は、ごく些細なことであっても集中できないということです。以前のように情報を処理したり、それに対処したりできないように思えます。言葉を忘れたり、会話の最中に言葉が出てこなかったりします。部屋に入って、何で自分がここに来たか思い出せないんです。2〜3分考えて思い出す時もありますが」

重症の甲状腺ホルモンバランスの乱れが認知機能に重大な障害を引き起こすことがあります。特に、記憶や集中力、そして入ってくる情報を記憶したり、処理する部分がやられやすいのです。甲状腺ホルモンバランスの乱れを直した後、大抵このような障害は消えてきますし、治療で進行を止めることができます。しかし、甲状腺ホルモンバランスの乱れを経験した患者の中には、甲状腺の病気を治療して治った後でも、認知機能の低下が続く人がおります。これらの機能の障害は、患者が若い年齢で病気になった時にさらに深刻なものとなる恐れがあります。

一部の患者では、認知機能の低下が長期にわたる重症の甲状腺機能低下症と関連しており、記憶に関してはその障害がより永久的なものであり、一般知能や集中力に関しては一時的なものである場合があります。普通は治療で記憶障害の進行を止めることができますが、甲状腺ホルモンバランスの乱れが治療されないままであると、時間が経つにつれて認知障害が悪化していくことがあります。研究では、甲状腺機能低下症が直接脳組織に非可逆的と思われる影響を与え、記憶障害を引き起こす可能性があり(8)、その一方で、適切な量の神経伝達物質に依存しているその他の脳機能は正常に戻る場合があることが示唆されています。

時に、以前活動し過ぎの甲状腺の治療を受けた患者が、働く能力を障害するような重大な知的後遺症を経験することがあります。Hans Perrild博士は、甲状腺機能亢進症の病歴のある患者で神経心理機能を研究しましたが、彼の患者のうち4名が障害者と見なされました。これはどのような仕事であっても、それを行う能力が著しく低下していたからです(9)

この事は、かなり長いこと続いた甲状腺機能低下症に罹った人がホルモンバランスの乱れを直して10年経った後でも元どおりにならない場合があるということを示唆するものです。

甲状腺機能低下症による認知能力の障害は、ごく軽いものから(規格化神経心理学的テストによってのみ見付かる)、かなりひどいもの(患者自身や家族、あるいは友人が気付く)まで様々です。極端なケースでは、甲状腺ホルモン欠乏によって脳組織に重大な影響が及ぶと、障害が痴呆にまで進むことがあります。これは特に高齢者に起こりやすいのです。

甲状腺ホルモンバランスの乱れがどのようにして脳に損傷を起すか:加齢との関係

ある意味では、シェリルが彼女の苦しみを脳の加齢が進んだことになぞらえたのは正しいことだったのです。年を取るにつれて、認知力の障害に悩まされがちになります。名前を覚えにくくなったり、同時に数種類のことを頭に入れておくことや情報を処理することが困難になってきます。言葉を見付けるのが難しくなることもあるし、次第に回りで起こっていることを細部まで理解する能力が失われてきます。

シェリルのような多くの人がなぜ、重症の甲状腺ホルモンバランスの乱れを経験した後に、高齢者がもっと長い期間にわたって経験することと同じような認知能力の衰えを経験するのでしょうか?甲状腺機能低下症を治療しないでいると非可逆的な痴呆が起こりうるのでしょうか?そして、長いことひどい甲状腺ホルモンバランスの乱れがあった場合、正常な加齢で認知能力の衰えがさらに悪化するのでしょうか?この分野における医学的研究が最近進んできて、これらの疑問に対する答えが明らかになりつつあります。研究では、知的能力を改善し、加齢に伴うさらなる脳の衰えを防ぐには何をすればよいかということも示唆されています。

ある程度の期間、甲状腺ホルモンバランスの乱れがあると、加齢と同じような脳の損傷が起こる可能性があります。年齢が増すにつれて、脳は代謝の過程で放出される酸化化合物であるフリーラジカル(遊離基)の有害作用をより多く受けるようになります。これらのラジカルは徐々に脳の主要な構成物を損傷していきます。これにはあるタイプの神経線維を取り囲む保護層(蛋白質と脂肪からなる)で、神経伝達の効率を上げるミエリンが含まれます。脳内のミエリンはフリーラジカルの傷害作用に敏感で、フリーラジカルの蓄積によって損傷を受けるようになります(10)。ミエリンがフリーラジカルにより損傷を受けると、安定性が低くなり、年を取るにつれてさらに損傷を受けやすくなっていきます。今では、ミエリンがヒトの脳の加齢を加速するもっとも重要なファクターの一つであることを研究者が認識しております。

年を取るにつれて、甲状腺ホルモンバランスの乱れが認知能力の障害を起すリスクが増してきます。これは加齢により正常な認知に欠かせない脳の領域が損傷を受けるのと同じ力を持つからです(11)。甲状腺が活動し過ぎであれば、酸素消費量が増え、フリーラジカルの数がそれを体内から排出する細胞の能力を超えるようになります(12)。年齢が進むにつれ、これらの“悪者”を排出するようにデザインされた細胞の機構の効率が落ちてきます。

要するに、過剰な甲状腺ホルモンによる“酸化ストレス”が加齢と同じ損傷を脳に起すのです。長期間にわたる甲状腺機能低下症も多くの脳組織を損なう作用があります。これは単に甲状腺ホルモンが健康な脳細胞を維持するのに欠かせないためであります。事実、これらの脳組織の発達は、胎児期の重要な急速発育期や、出生直後からも正常な甲状腺ホルモンレベルに依存するのです(13)。この時期には、ミエリンの適切な形成に甲状腺ホルモンが欠かせません。これは先天性甲状腺機能低下症の乳幼児が重篤な神経学的問題や精神発達障害になる理由の説明となるものです。

後遺認知障害の予防法と治療法

シェリルがひどい甲状腺ホルモンバランスの乱れの後に起きた認知障害で私の元に来た時は、そのような症状を持つどの患者よりもびくびくしていました。彼女の母親と母方の叔母がアルツハイマー病の診断を受けたばかりだったのです。彼女はアルツハイマー病が家族内に伝わることと自分も将来この病気の犠牲者となる恐れがあることを知っていたのです。しかし、彼女が現在従っている健康プログラムには、バランスのとれた食餌や抗酸化剤、ホルモン治療、および血圧のコントロールが含まれており、彼女が罹っている認知能力低下の一部の回復に効果があるだけでなく、加齢によりもたらされる衰えを遅らせる効果があるものです。さらに、そのプログラムはアルツハイマー病を予防し、万一彼女がアルツハイマー病に罹った場合でもその進行を遅くするものです。

私達は皆、健康な脳の働きを守り、年齢が進むにつれて起こる認知能力の低下を防ぐための予防手段を講じるべきです。しかし、何らかの後遺症が残るようなひどいホルモンバランスの乱れを経験した場合は、もっと用心する必要があります。

アルツハイマー病になりやすい素因があるか、脳の損傷を起すような病気がある場合は、長いこと甲状腺ホルモンが足りない状態が続くと痴呆を促進する恐れがあります。甲状腺機能低下症により生じた損傷がそれほどひどくない場合でも、後退を示す場合があります。そのことで、後になって痴呆を生じ易くなります。長期にわたるうつ病やストレスも認知能力の衰えを起します。

脳の機能がそれ以上に衰えないようにする手段が今ではいくつか認められています。最初のステップは、脳の機能に影響を与える可能性のある多くの生活習慣のファクターに注意を払うことです。適切な量の抗酸化剤を食餌に補うことは、もっとも重要な手段の一つです。ビタミンCや亜鉛、ビタミンEおよびグルタミン酸塩は、フリーラジカルの蓄積による脳細胞の損傷と喪失を防ぐと考えられます(抗酸化剤については《第18章》参照)。

また、脳血管疾患や卒中になるリスクを減少させる必要もあります。これらの病気は痴呆プロセスを早めることが知られているからです。動脈が硬くなる動脈硬化症は普通、年を取るにつれて増加します。このプロセスが脳内の動脈に悪影響を与えると、血液供給不足や卒中につながり、最後は脳細胞が失われます。脳内の動脈硬化は、高齢者の認知障害や痴呆の主要なファクターです(14)。研究者は、85歳以上の患者の50%に脳の動脈硬化を見出しています。アルツハイマー病の人も含め、痴呆のある人の多くに痴呆の一因となるファクターとして動脈硬化症があると思われます。

重症の甲状腺ホルモンバランスの乱れを経験したことがある場合、動脈硬化や脳の血液供給不足を起しやすくする血管系のリスクをコントロールしなければなりません。そのためには、運動をし、葉酸やビタミンB6とB12を含む抗酸化綜合ビタミン剤を飲む必要があります。血圧のコントロールは欠かせません。高血圧により脳や心臓、腎臓の血管が損なわれることがあります。血圧が高い状態が続けば続くほど、より損傷が起きやすくなります。ある研究で、すでに血管性痴呆に罹っている患者が収縮期血圧を135〜150mmHgの範囲内に下げる治療を受けると、認知能力の低下の改善や痴呆の悪化が遅くなることが示されました(15)。研究で、最近循環器系のリスクとアミノ酸であるヘモシステインの蓄積との関係が明らかになりました(16)。先に述べたばかりのB複合体のビタミンには、ヘモシステインの蓄積を減少させ、脳血流低下のリスクを減らす効果があります。

コレステロールとトリグリセライド(中性脂肪)も食餌により、また必要ならば薬を使って下げる必要があります。高コレステロールは、男女どちらにとっても循環器系の重要なリスクファクターです。例えば、1デシリットルあたり265ミリグラム以上のコレステロールレベルの女性では、1デシリットルあたり205ミリグラム以下の女性と比べ、循環器疾患のリスクが倍になります。脂肪やコレステロールの摂取を減らし、運動することでHDLコレステロールを1デシリットルあたり60ミリグラム以上に上げてください。砂糖の摂取を減らしてトリグリセライドを下げてください。トリグリセライドのレベルは、1デシリットルあたり190ミリグラム以下でなければなりません。しかし、コレステロールレベルを下げ過ぎないようにしましょう。あまりコレステロールが低いと、脳のセロトニンが減り、そのためにうつ病や攻撃的な行動が生じることがあります。これもやはり脳細胞を損傷し、認知障害を起す恐れがあります。総コレステロールを1デシリットルあたり200ミリグラム以下に保って血管に利益をもたらし、1デシリットルあたり150ミリグラム以上を維持して気分の落ち込みや認知障害を避けるようにしてください。

数種類のありふれた健康上の問題が単独で、または他のものと一緒になって循環器疾患の発病の一因となることがあります(以下の一覧表を参照)。長い間治療を受けていない甲状腺機能低下症もこれらのファクターの一つです。甲状腺機能低下症により血圧が上がり、LDLコレステロールが増し、時にはトリグリセライドも上がることがあり、その結果体重が増え過ぎてあまり動かない生活習慣につながっていきます。軽度の甲状腺機能低下症であっても、LDLコレステロールが上がることが最近明らかになりました。1970年代にイギリスで行われた研究で、慢性甲状腺炎に罹っている人には、体重や高血圧、高コレステロールなど他のリスクファクターを除いた後でも循環器疾患に罹る率が高いことがすでに示されておりました(17)。閉経期の女性に軽度の甲状腺機能低下症の発生率が高く、それがコレステロールに影響することから、これらの女性の間で冠動脈疾患の発生に長い間続いた軽度の甲状腺機能低下症が寄与している可能性があります。

循環器疾患のリスクファクター

  • 高血圧
  • 血中コレステロールレベルとトリグリセライドレベルが高い
  • 喫煙
  • 糖尿病
  • 長い間続いた甲状腺機能低下症
  • 太り過ぎ
  • 心臓病の家族歴
  • あまり動かない生活習慣
  • 高インスリン(症候群X)
  • 閉経期

甲状腺ホルモンバランスの乱れがあり、その結果損傷が起きている可能性がある人に関しては、他の追加リスクファクターに十分な注意を払うことがきわめて大切です。

精製糖の過剰摂取とインスリン耐性が生じた結果、高インスリンレベルになることがあります。これは、インスリンを作り出す能力はあるものの、臓器がインスリンにうまく反応せず、このホルモンの作用効率が悪くなります。また、体内に塩分が貯留しやすくなり、臓器内の血管が狭くなります。インスリンが効率的に働かないため、“症候群X”に罹っている患者は糖尿病を発病する傾向があります。このような人は血圧も高く、血液中の脂肪レベルも高くなります。ここでいちばん大切なことは、体重を減らし、砂糖の摂取を減らすことです。健康的で、バランスのとれた食餌は、動物性脂肪や乳脂肪、および精製糖の含有量が低いものです。バターや全乳、および卵のとり過ぎを避けましょう。かならず魚や新鮮な野菜、豆製品、全粒食品、および豆を食餌に取り入れましょう。オリーブオイルやひまわり油、紅花油のような植物油はココナッツオイルまたはやし油より好ましいものです。

エストロゲンの精神への効果

閉経前または閉経後の女性の場合、エストロゲン療法が正しい選択であるかどうかを決めるのは幾分難しいかもしれません。エストロゲンを飲むと循環器疾患のリスクが減り、骨喪失や骨粗鬆症の予防によいと知らされていると思いますが、最近の研究でエストロゲンが乳がんのリスクを高めるということが示されており、それも恐ろしいのではないでしょうか。

私は乳がんのリスクについてはちょっとオーバーに宣伝されていると思います。この問題はリスクの発現を大集団に適用する“相対リスク”対特定の個人に適用する“絶対リスク”の解釈の誤りから来たものです。エストロゲン療法による乳がんの相対リスクは確かにある程度有意性があります。しかし、つまるところエストロゲン治療の結果乳がんになる“絶対リスク”は現実のものではありますが、ごくわずかなものなのです。

死亡率と循環器疾患のどちらもエストロゲン療法で下がります。しかし、それ程広く宣伝されていないのがエストロゲンの認知能力に及ぼす効果です。エストロゲンの使用で認知障害に改善が見られるだけでなく、痴呆の予防や治療も広がりつつあるという科学的証拠があります。手術で卵巣全体を取り除いたラットでの研究では、エストロゲンによる学習成績の改善が示されています(18)。エストロゲンの効果は素晴らしく、アルツハイマー病に罹りやすい女性でエストロゲンを飲まない人は、飲んでいる人より認知能力がより急速に失われる可能性があります。したがって、私は甲状腺機能低下症になったことのある女性が閉経期になった時にエストロゲンを飲むように勧めています。そうしない場合、エストロゲンの欠如により、ずっと前に起こったものであった場合であっても、その甲状腺ホルモンバランスが原因で生じた残留障害がひどくなるのです。

閉経期に起こるエストロゲンの欠如がアルツハイマー病による脳の損傷の発生における重要なファクターである可能性があります。ある研究で、閉経後の女性にエストロゲン療法と行うとアルツハイマー病の発病が遅くなることが示されました(19)。エストロゲンはアルツハイマー病でいちばん損傷を受ける脳細胞と相互に作用し合います。エストロゲンはより多くの神経伝達物質であるアセチルコリンを作るよう脳細胞を刺激します。アセチルコリンは記憶と認知に重要な役割を果たすものです。このホルモンはアセチルコリンを含む細胞を無傷で、健康な状態に保ち、脳の血流もよくします。

閉経後のエストロゲンの欠如がおそらく痴呆が男性より女性に2〜3倍多い理由の一つと思われます。エストロゲン補充により、痴呆のない閉経後の女性で数種の認知能力が改善されます。特に言語記憶に関連した能力が改善します(20)。薬の量だけでなく治療期間によっても予防効果が違ってきます。1.25ミリグラムのプレマリンは0.625ミリグラムより効果が高いのです。

エストロゲンは認知能力だけでなく、気分や全体的な健康状態も改善します。閉経後の女性でのエストロゲン治療には、ストレスを緩和する効果があります。エストロゲンを飲んでいる女性はストレスに反応して作り出されるコルチゾルが少なく、したがって脳細胞や記憶に対するコルチゾルの悪影響も少なくなります(21)。エストロゲンはストレスによる高コルチゾルレベルの傷害作用から脳細胞を守ると思われます。

若い閉経後の女性では、エストロゲンにより健康状態が改善され、不安やうつ病が減少します。これはセロトニンレベルが増加するためにそうなるのです。例えごくわずかであっても脳細胞内の甲状腺ホルモン欠乏がある女性では、エストロゲンを飲まないことによるうつ病悪化のリスクがあります。脳内のセロトニンを増すことで、エストロゲンは閉経後の女性の甲状腺機能低下症の名残のうつ病を緩和する効果があるのです。甲状腺ホルモン治療だけでは、うつ病が治らない場合があります。エストロゲンを加えて初めてうつ病が改善されるのです。

プレマリンには数タイプのエストロゲンが含まれており、エストロゲンパッチ内の純粋なエストラディーオールよりも脳に対する効果が大きいのです。この理由から、私は閉経期に入った甲状腺疾患患者へのエストロゲン処方にはプレマリンを好んで使っております。テストステロンレベルの低い高齢の男性に対しては、テストステロンパッチ(すなわち、アンドロダームまたはテストダーム)が重要な補助薬となります。

閉経後の女性における甲状腺ホルモンバランスの乱れの長引く影響は、医師がバランスのとれた性ホルモンの投薬を行わない限りよくならないことがあります。一部の女性では、少量のテストステロンを加えると認知と気分の両方の改善効果があります(22)

エストロゲンを飲んでいる間、1週間に3度以上豆腐やその他の大豆食品を食べないようにしてください。大豆には植物性エストロゲンまたは“フィトエストロゲン”が含まれており、これはエストロゲンの作用促進、あるいは作用を弱める性質を持つ植物由来のエストロゲンの一種です。フィトエストロゲンは1週間に3度以上摂取すると、気分や認知へのエストロゲンの効果を妨げることがあります(23)

どの女性でもエストロゲン補充治療を受けられるわけではありません。エストロゲンは静脈血栓や水分貯留、高血圧、および子宮がんなどを含む副作用を起すことがあります。

子宮切除術を受けており、エストロゲンを飲みたい場合は、プロゲステロンを含まないエストロゲン単剤を飲むようにしなければなりません。しかし、子宮がそのままある人の場合は、エストロゲン単剤を飲むと子宮がんになるリスクが増すことがあります。この理由は、エストロゲンが子宮内膜の肥厚と増殖を起すためで、これが時間が経つにつれがんになりやすくなるのです。この内膜の肥厚と増殖は、内膜の発達と見られることがあります。これはプロゲステロンを飲むことで予防できますが、これは発達した内膜をはがす作用があります。このため、プロベラを月に10日間というように周期的な方法か、またはプレマリンと合わせて継続的にプロゲステロンの処方を受けることになります。

しかし、プロゲステロン治療には脳内の化学作用を妨げるという欠点があります(24)。プロゲステロンは脳内のセロトニンレベルを下げるので、うつ病の症状がひどくなります。エストロゲンとプロゲステロンを飲んでいる女性には、エストロゲンだけを飲んでいる女性よりうつ病の症状が多く出る場合があります。また、プロゲステロンの用量が高くなればなる程、女性に抑うつ気分が出る可能性が高くなります。その一方で、プロゲステロンによりのぼせが緩和されます。

私が甲状腺疾患患者に勧めるホルモン剤の投与法は、のぼせのひどさや抑うつ気分が問題であるかどうか、またプロゲステロンを飲んだ場合に感情的になったり、不安や疲労が出るかどうかによって異なります。気分への影響が出る人は、2ヶ月おきか3ヶ月おきに1日2.5ミリグラムのプロゲステロンを7日間飲むようにする方がよいでしょう。これで子宮内膜の発達は十分に予防でき、子宮がんのリスクも減らすことができます。のぼせに悩まされており、気分の落ち込みは大して問題にならない場合、月に7日から10日1日5ミリグラムのプロゲステロンを飲む方がよいと思われます。

健康の輪

私が患者に提示している“健康の輪”は、加齢とともに認知能力が衰えていくのを最小限に止めるため、誰もが使えるものです([図5]参照)。甲状腺ホルモンバランスの乱れのある患者は、何らかの認知能力の傷害が永久に残ることを最小限に止めるため、早期診断の重要性を認識しなければなりません。また、生涯を通じてかならず甲状腺ホルモンのバランスのとれた状態にしておく必要があります。ただし、それでも十分でないことがあります。ホルモンバランスの乱れにより、脳に重大な影響が生じた場合、それ以外の脳を衰えさせるような影響が及ぶのを最小限に止めるためにあらゆる手段を講じなければなりません。

シェリルのような私の患者の一部が、今知っていることは将来のために健康な脳の組織をできる限り保存するための手段を講じるということです。そうできなければ、さらに認知能力が衰えていくリスクがはるかに高くなり、痴呆になる可能性さえあるのです。

甲状腺の病気に悩んでいる人達にとって、甲状腺ホルモンバランスの乱れが脳の機能を変える程度がひどければひどい程、前のようではないというような何らかの影響が残る確率が高くなります。感情的影響の一部を和らげる効果のある精神─体医療を用いてこれらの影響の名残と闘いましょう。

覚えておくべき重要なポイント

  • 甲状腺ホルモンバランスの乱れの治療がうまくいったのに、感情的であったり、怒りっぽかったり、疲れるようなことが続いているか、あるいは体中に痛みがあったり、その他の不活発な甲状腺の症状が続いている場合は、あなただけがそうではないのです。それは単にホルモンバランスの乱れが脳の化学作用に及ぼした影響の名残なのです。症状の一部は、甲状腺機能低下症の治療に使われる合成T4錠では得られないT3(いちばん活性の高い形の甲状腺ホルモン)の欠乏で説明がつきます。
  • これらの症状と闘うには、精神─体テクニックとエアロビクスを用い、甲状腺ホルモンバランスを維持し、そして必要ならばT4/T3を組み合わせた治療と抗うつ剤を使います。
  • ひどい甲状腺ホルモンバランスの乱れが脳に及ぼす傷害効果が加齢の影響に似た認知障害や記憶力の問題を生じることがあります。生活習慣にもっと注意を払い、抗酸化剤を飲み、コレステロールを下げ、血圧をコントロールし、精製した砂糖を避けるようにする必要があります。
  • 閉経後であれば、性ホルモンに注目してください。エストロゲン、できればプレマリンを飲んで、気分や認知能力の改善には少量のアンドロゲンを飲むことも考慮してください。
  • アルツハイマー病になりやすい家系であれば、さらに警戒する必要があります。エストロゲンはアルツハイマー病による認知能力の衰えを遅らせるということを覚えておいてください。

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