第14章:甲状腺の希な病気

この章では、この本の他の章ででまだ扱われていない、あるいは他に考慮が必要である様々な甲状腺疾患について述べることにします。

下垂体の病気と甲状腺

下垂体との関係、すなわち甲状腺刺激ホルモン(TSH)の分泌と甲状腺との関係については《第1章》で述べましたが、下垂体疾患に続発して起こる甲状腺疾患についてはほとんど言及されていません。

TSHの分泌過剰

TSHの分泌過剰を伴う下垂体の活動し過ぎが、甲状腺の活動し過ぎの原因となることははめったにありません。
医師がこの診断を下すための手がかりは、血液中の甲状腺ホルモンのレベルが上昇し、甲状腺中毒の状態になっているのに、TSHのレベルは正常であるか、または上昇しており、通常見られるようなフィードバックメカニズムの作用による抑制がないということです。抗甲状腺剤の投与により、甲状腺ホルモンの過剰分泌が抑えられ、甲状腺の機能は正常状態になりますが、この治療ではTSH過剰分泌という状態は治りません。下垂体がなぜTSHを過剰に分泌するかということと、この状態を正すことの方に注意を向ける必要があります。

TSHの分泌減少

下垂体が十分な量のTSHを分泌できない状態はもっと普通に見られるもので、2次的な甲状腺機能不全の原因であります。TSHの量が十分でなければ、甲状腺からの甲状腺ホルモンの分泌が減少します。そして原発性の甲状腺機能不全と同じような臨床症状が出ます《第8章》。しかし、この症状にはその他の下垂体ホルモンの分泌減少の結果として起こる、成長や性的発達と機能、および副甲状腺への影響という別の特徴を伴っていることが多いのです。
TSH分泌減少は、腫瘍またはそれ以外で下垂体へ何らかの損傷が加わったために起こるのが普通です。したがって、甲状腺機能不全に加え、その他の内分泌腺機能不全も存在します。下垂体の腫瘍が原因である場合は、頭痛または視覚障害などの局所症状も出てくる可能性があります。もし腫瘍があれば、まずその治療を行わねばなりませんが、ホルモン補充療法は甲状腺ホルモン欠乏に対してのみでなく、女性の卵巣や男性の精巣、および副腎皮質など下垂体によりコントロールされているその他の内分泌腺もすべて不活発になっている可能性があり、それらのホルモン欠乏に対しても補充療法を行なうようにしなければなりません。ここに、分娩時の不幸な出来事のため、下垂体が破壊された女性の病気の記録を挙げます。下垂体は妊娠により肥大し、血液供給の良否による影響をきわめて受けやすいのです。この患者の出産時に、下垂体への血液供給が危機的状態にあったことがわかると思います。

私は今39歳になりました。看護婦としてのトレーニングを受けた後、26歳で結婚しました。主人は弁護士で、中東へ移り住み、そこで28歳の時ベンジャミンが生まれました。子どもが生まれた直後に大出血を起こしました。その時の婦長は、私のヘモグロビン値が7g/dlまで下がったと言いました。ちなみに私の正常値は14g/dlです。母国では当然行われるであろう輸血のための設備がありませんでした。また、母乳が出ないため、ベンジャミンに乳をあたえることもできませんでした。
生理が元どおりになることは決してありませんでした。時たまごく軽い生理が不規則にあるだけでした。また、何の避妊処置も講じていないのに、2度と妊娠することはありませんでした。体重がかなり増え、性欲がなくなりました。ただ、もはやセックスに興味が持てなかっただけです。一日中疲れを感じるようになり、元気がなくなってきました。また、以前には決してなかったのに便秘するようにもなり、ベンジャミンが4歳の時イギリスに戻りましたが、その寒さに耐えることができませんでした。
イギリスで医師の診察を受けましたが、医師から脇毛がなくなり、恥毛も薄くまばらになっていることを指摘されました。きわめて徐々に起こったため、気が付かなかった何かがあったのです。医師は、私が甲状腺機能低下症であることをすぐに確かめましたが、TSHレベルが全く上がっていないことに驚きました。このことから医師が私の下垂体が活動を止めていることに気付いたのだと思います。すぐに専門医の元に送られ、朝のうちにたくさんの検査を受けました。そして、あのすさまじい産後の出血の際に下垂体の大部分がやられてしまったため、甲状腺だけでなく卵巣や副腎も正しく機能していないことがわかりました。下垂体がTSHまた は卵巣や副腎を活発に働かせるに十分なホルモンを出していないことによるものです。
今は、ここ何年もなかったほど元気になりました。もちろんたくさん薬を飲まなくてはなりませんが、それにも慣れましたし、飲み忘れることもありません。甲状腺のためにサイロキシンを、そしてハイドロコルチゾンと呼ばれるステロイドは副腎のため、また不活発な卵巣のためにエストロゲンを1日2回飲むホルモン補充療法を受けています。

無痛性甲状腺炎

これが原因で甲状腺機能亢進症になることは希です。これは、亜急性甲状腺炎《第9章》ほど痛くもなく、それほど腫れることもないので、“無痛性”と呼ばれています。正確な原因は不明です。一部にはウイルス感染によるものもあると思われますが、ほとんどは短期間の自己免疫疾患によるものです。男性より女性に多く起こり、産後に特に多く見られます。ヨーロッパより北アメリカで多く見られ、そこでは患者の10%で、甲状腺機能亢進症の原因となっています。

無痛性甲状腺炎ではどのようなことが起こるのでしょうか?

無痛性甲状腺炎にかかると、甲状腺中毒症になりますが、程度がひどくなることはめったになく、目の合併症が起きることもありません。血液中の甲状腺ホルモンのレベルは上昇し、TSHレベルは抑えられています。しかし、もっとも重要な所見は、テクニシウムまたは放射性ヨードスキャンで、甲状腺へのアイソトープの取り込みが減少しているということです。これがグレーブス病と無症候性甲状腺炎の根本的な違いです。

どのように治療するのでしょうか?

無痛性甲状腺炎は比較的短期間しか続かず、突然治まります。甲状腺中毒症が軽ければ、治療の必要がないか、ベータ・ブロッカーだけで間に合います。もっとひどい場合は、短期間抗甲状腺剤を使います。〈注釈:この著者の記載は誤りです。無痛性甲状腺炎では抗甲状腺剤は無効です。何故なら、無痛性甲状腺炎では甲状腺内では甲状腺ホルモンを作っていないからです。炎症による甲状腺破壊のために甲状腺ホルモンが血中に漏れ出ているだけです〉
放射性ヨードや甲状腺切除などグレーブス病《第4章》に使われる、侵襲の程度の大きな治療は、そのうちに治ってしまう病気であるため不適当です。

後遺症はあるのでしょうか?

時に、無痛性甲状腺炎の後に甲状腺機能低下症が起こることがありますが、これは産後の女性に一番よく見られます。甲状腺機能不全期は短期間しか続かないのが普通ですが、約4分の1の患者では永久的なものとなり、生涯サイロキシン補充療法を受けなければならなくなります。

甲状腺クリーゼ

これは、甲状腺中毒症患者が甲状腺機能亢進症の症状の、突然かつ重篤な悪化を起こす希な状態です。これは、甲状腺中毒症であることを知らないか、または甲状腺機能亢進症が適切にコントロールされていない人で、インフルエンザや咽頭痛、肺炎などのある種の併発疾患により発症するのが普通です。昔は、手術のための現代的な予備治療が適切に行われていない患者や、甲状腺の機能が正常でない患者の手術を医師が行う際の甲状腺クリーゼは希なものではありませんでした。外科医師が予備治療の不完全な甲状腺を扱うため、甲状腺亜全摘の最中に、血液中に甲状腺ホルモンが過剰に放出されたのです。

甲状腺クリーゼではどんなことが起こるのですか?

血液中の甲状腺ホルモンが過剰になると、発熱や速い不規則な心拍(心房細動)、心不全、脱水を伴う大量の発汗、血圧の低下によるショック状態、および意識混濁または譫妄を誘発します。結果は死にいたることもあります。

甲状腺クリーゼの治療はどのようにして行うのですか?

最良の治療法は“予防”です。しかし、患者が自分が甲状腺中毒になっていることを知らない場合もあり、いつでも予防が可能とは限りません。もし、甲状腺クリーゼが起こった場合は、水分を静脈から補充するだけでなく、ヨウ化カリウムの経口投与や抗甲状腺剤、およびベータブロッカーによる治療を直ちに行わなければなりません。

無表情性甲状腺機能亢進症

これは非常に希で、老人にのみ起こる不可解な病気であり、無視されたり、診断がつかなかったりするため、かなりの期間治療されないままであるのが普通です。無表情性甲状腺機能亢進症に見られるような臨床症状は、若い患者に見られる通常の甲状腺機能亢進症の症状からはかなりかけ離れているため、容易に見逃されてしまう可能性があります。通常の不安や感情的に過敏になる臨床像とは対照的に、患者は感情の起伏がなくなり、抑鬱状態になります。落ち着きがなくなる代わりに、無表情性甲状腺機能亢進症の患者は、嗜眠状態で不活発であり、食欲がないことが多いのです。体重の減少歴やその証拠があるとしても、患者はむくんでいるように見えます。明らかな甲状腺の肥大や目の合併症はめったにありません。心拍数の増加が予想されるのに反して、脈拍は遅くなるか、正常である可能性があります。時には、患者の加齢や隠れたがん、欝病のために病気が起こっていると思われることがあります。
無表情性甲状腺機能亢進症は、抗甲状腺剤に良く反応しますが、これで永久的に治癒することはないので、甲状腺の過活動状態がコントロールされれば、放射性ヨードを与えるのが普通です。

“病的甲状腺機能正常”症候群

これは心配する必要のある本当の“病気”ではありません。むしろ医師の側に関心がある問題です。 もし病的状態になったのであれば、原因は何であれ、血液中の総T3と遊離T3のレベルは正常値以下に下がり、重篤なケースでは総T4と遊離T4のレベルも同じように下がります。このことから、医師は甲状腺機能不全があるのではないかと思うわけですが、血液中のTSHレベルが上がっていなければそうではありません。甲状腺以外の病気があり、それが回復するにつれ、甲状腺ホルモンのレベルは正常に戻ります。

リーデル甲状腺炎

これは、甲状腺が瘢痕性の線維組織で置き換わるきわめて希な病気です。甲状腺は触れると痛みがあり、木のように堅く感じます。この病気は木質様または侵潤性線維性甲状腺炎としても知られています。甲状腺は上を被う皮膚や深部の頚部組織と癒着するようになるため、気道が狭窄し、声帯への神経が冒されれば、声が出にくくなり、しゃがれてきます。物を飲み込むのも困難になることがあります。生検をしなければ、医師はこの病気と未分化細胞がんとを区別することは難しく、普通は気道の狭窄を取り除くために手術を必要とします。リーデル甲状腺炎は、腸の被膜(腹膜線維症)や後腹部組織(後腹膜線維症)、胆汁を肝臓から腸へ運ぶ管(硬化性胆管炎)、または胸部中央部の組織(縦隔線維症)などに同じような線維症を伴っていることがあります。この非常に希な病気の原因は不明です。

急性(化膿性)甲状腺炎

これも非常に希なものです。化膿性甲状腺炎では、せつ〈注釈:膿の溜まった皮膚の感染症のこと〉の原因であるぶどう球菌のような膿を形成するバクテリアが甲状腺に感染します。甲状腺は急性の炎症を起こし、非常に強い痛みがあります。高熱が出て気分が非常に悪くなり、体の他の部分へも感染が広がることがよくあります。通常は、適切な抗生物質に速やかに反応します。

問題と解答

Q1. 私の祖母がバセドウ病のため甲状腺の摘出をしたのは、祖母が非常に若い時でした。そして、手術は冬になるまで待たなければならなかったと言うのです。それはどうしてですか。また、私は夏の終わり頃に手術が受けられると言われたのですが、これはどうなのですか?
その当時は、手術を行う前に患者の甲状腺中毒状態を確実にコントロールすることは容易ではなかったのです。おそらく、あなたのおばあさんは入院し、約10日間ルゴールのヨードを投与されたものと思われます。そして、脈拍、特に夜間睡眠中のものが記録されたと思われます。また、手術を安全におこなうため、体重を増やす必要もあったのでしょう。さらに、暑い最中より寒い時期に手術を行う方が安全であることもわかっていました。今日では、術前処置はもっと安全に行うことができるようになり、あなたの甲状腺の活動し過ぎの状態が適切にコントロールされるまで手術は行われないはずです。
Q2. 産後に出血があり、下垂体に損傷を受けました。これは元に戻るのでしょうか?
損傷が軽度であれば、回復することもあります。しかし、出血がひどかったのであれば、回復のチャンスはまずないでしょう。
Q3. 最初にシーハン症候群と言われ、今では下垂体機能低下症と言われます。これは同じものなのですか?
そのとおりです。リバプールの故シーハン教授が出産後の出血と後に起こってくる下垂体不全との間の関連性を最初に記載したのです。
Q4. これらの錠剤を生涯飲み続けなければならないのですか。大変な費用がかかりますね?
女性ホルモンの錠剤は65歳かそこらでやめてもいいのですが、コルチゾンとサイロキシンは生涯飲み続けなければなりません。イギリス国民健康保険サービスでは、内分泌機能不全に対する薬は患者に無料で与えられますので1銭もかかりません。他の医療保健システムでしたらいくらか払わなければならないかもしれませんが、これはそんなに高価な薬ではありませんし、健康な状態を保つために欠かせないものです。

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