第10章:甲状腺のびまん性肥大と単純性甲状腺腫

甲状腺腫という言葉は、甲状腺が大きく腫れた状態を意味している。正常の甲状腺の大きさは個人差があり、ヨード欠乏地域では大きく、国によっても違う。だから、あなたの甲状腺が明らかに腫れていないなら、医師が甲状腺をみつけるのが難しい時もある。痩せた若い女性は、特にあごを挙げると甲状腺の形が見えることがあるが、たいていの人では甲状腺は肉眼的には見えない。目では見えないが、医師が触ると正常より少し大きいものを、小さな甲状腺腫と定義している。しかし、殆どの場合、明らかな甲状腺腫があれば目で見える。甲状腺が全体的に少し腫れているからと言ってそんなに心配はいらない。がんは珍しいので、がんである可能性は低い。それにがんでは、甲状腺全体が腫れることは希である。甲状腺腫を持つ人は多い。数年前にイギリス北東部地方で行われた集団検診によると、住民の16%に甲状腺腫が見付かった。男女比は1:4で女性に多いことが改めて認識された。
この章では、全体的に腫れた甲状腺について論じる。《第11章》では甲状腺の一部にシコリのできる病気について話す。びまん性としこりに区別するのはいくぶん人為的に思えるが(この二つが同時に存在することもあるので)、この二つを区別することは甲状腺を診る上で重要である。
びまん性甲状腺腫の原因は沢山ある。西洋ではヨード欠乏は少なく、最もよくみられるのは単純性非中毒性甲状腺腫(SNTG)と呼ばれるものである。これについてはこの章の終わりに述べる。まず、それ以外のびまん性甲状腺腫の原因についてみてみよう。

生理的なもの

思春期の女性は甲状腺が少し腫れていることが多い。生理前、7~10日間、甲状腺が腫れると自覚する人もいる。
妊娠中も甲状腺が腫れることが多い。古代エジプトでは花嫁の首の周りに薄い布をきつく結ぶ習わしがあった。その布が破れると、彼女が妊娠したことを知った。思春期、生理前や妊娠中のそのような甲状腺腫大は多分ホルモンの変化のためであろう。しかし、特に女性の場合などは、ヨード不足が原因かもしれない。妊娠すると胎児はヨードを必要とし、尿中にもヨードは平常より失われる。そこで、貯蔵されたヨードは減少する。閉経後にも、甲状腺が腫れることがある。

ヨード欠乏と地方性甲状腺腫

世界的にはこれが甲状腺腫の一番多い原因である。しかしこの甲状腺腫は、ヨード欠乏地域や甲状腺ホルモン合成に影響を与える物質を含む食事を取る地域にのみ起こる。ヨードは甲状腺ホルモン合成に必須のものである。ヨードが不足すると、甲状腺ホルモンを正常に保とうとして、下垂体から甲状腺刺激ホルモンが放出されるために甲状腺は腫れる。ミルク、卵、野菜などの食品中のヨードは土の中のヨードに依存されている。この土の中のヨードは雨にそしてその雨は海水に由来する。ヨード欠乏は海から隔離された地方に起こる。例えば、米国の五大湖付近、英国のペナイン地方などは塩やパンにヨードが添加されるまではヨード欠乏に悩まされていた。 現在では、ヨード添加が充分でないヒマラヤ、中国の一部、イラン、コンゴ、アンデスやニューギニアなどの大陸内陸部で主にみられる。これらの地域では甲状腺腫は住民の20%以上にみられる程多いために、地方性甲状腺腫といわれる。ヨード欠乏地域では、ヨード欠乏の程度と甲状腺腫の頻度は相関関係がある。ヨード不足の程度がひどいときは(これは尿中ヨードの低値をみればわかる)、甲状腺腫を持つ人が多い。5年前にニューギニアでは、ケシの実の油に含まれるヨードを母親に注射することで、甲状腺腫の頻度やヨード欠乏の母親から生まれる甲状腺機能低下症の子どもの頻度を低下させることができた。

橋本病

これについては《第7章》で詳しく説明した。西洋のようにヨード不足がほとんどみられないところでは、甲状腺腫の一番多い原因である。この病気は甲状腺が腫れてから、長い経過を経て、甲状腺の働きが低下してくる。この別名慢性甲状腺炎という病気は血中の甲状腺自己抗体を証明することで診断できる。この自己抗体が橋本病とあとで述べる単純性非中毒性甲状腺腫(SNTG)との鑑別に役立つ。

バセドウ病

《第4章》で述べたように、この病気も甲状腺腫の原因である。甲状腺機能亢進症のために甲状腺が大きくなったのなら、甲状腺の腫れよりは甲状腺ホルモンが多いための症状の方が心配になる。

亜急性甲状腺炎

これについては《第9章》で述べたが、この病気は甲状腺部の圧痛などにより、単純性非中毒性甲状腺腫(SNTG)との鑑別は易しい。

食品とくすり

甲状腺ホルモン合成を阻害する食品やくすりが知られている。キャベツ、緑葉カンランの一種、アフリカでは主食として食べられるタピオカなどを沢山摂取したときに甲状腺が腫れることもある。咳や気管支喘息用のくすりの中にも長期間服用すると甲状腺を腫れさせる作用をもつものがある。不整脈のくすりから精神科で使うくすりまで多くのくすり〈注釈:伊藤病院のホームページでヨード含有薬物に付いてての説明がありますので参考にしてください〉が甲状腺を腫れさせるものがある。もし、甲状腺が腫れたときは現在飲んでいるか以前飲んでいたくすりについて医師に話す必要がある。

甲状腺ホルモン合成障害

甲状腺ホルモン合成には、多くの化学的ステップを必要とする。それらは自動車工場の生産ラインで厳密にコントロールされているのと同じように調整されている。甲状腺ホルモンの合成ステップの一つが特に障害を受けて甲状腺ホルモン産生が低下している人がいる。これはdyshormogenesisといわれ、“ホルモンの合成障害”という意味である。合成障害の程度はちょっとしたものから全くホルモンが作れないものまでさまざまである。ホルモン合成障害による甲状腺腫は大変希であり、家族性にみられる。通常この病気は赤ちゃんの甲状腺が腫れているために生後まもなくすぐ診断される。少し軽症例では、成長するにつれて、甲状腺ホルモンの必要量が増えるとそれに見合った甲状腺ホルモンを作ろうとするために甲状腺が腫れる。このような例では生後数年してから異常に気付く。
希に甲状腺ホルモン合成障害は聾唖のような他の先天異常を伴うことがある。ほとんどの場合はサイロキシン投与で甲状腺腫がそれ以上大きくなるのを防げるし、多くの例では縮む。さらに、サイロキシン治療は甲状腺機能低下症になるのを防止する。

甲状腺がん

がんについては《第12章》で述べる。しかしながら、がんで甲状腺が腫れるときはシコリとして気付かれ、びまん性に腫れることは希である。

単純性非中毒性甲状腺腫(SNTG)

“単純性非中毒性”という形容詞は甲状腺腫はがんではなく、かつ甲状腺の働きは正常であるということを意味する。言い替えれば、単純性非中毒性甲状腺腫(SNTG)があるということは、甲状腺の働きは正常である。“単純”と名付けられているからといって、甲状腺腫を引き起こしている原因が分かっているわけではない。事実、別名コロイド甲状腺腫や単純性甲状腺腫と言われる。この単純性非中毒性甲状腺腫(SNTG)の原因は不明である。

自覚症状は?

SNTGが小さいときには自分でも気付かないし症状もない。鏡で見たとき甲状腺が腫れていることに気付いた時や家人から甲状腺の腫れを指摘された時に、自分ではっきりと認識できるようになる。喉にものがつまった感じ、ものを飲み込みにくい、首をしめられた感じなどを訴える人も居る。通常はかなり甲状腺腫が大きくても症状は出ないので、上記の症状は甲状腺が腫れたための症状というより甲状腺腫の存在そのもののために気になり始めたことによる症状と思われる。多くの場合、SNTGについて検査をすることは、本人の恐怖を取り除くこともさることながら、甲状腺腫の原因や治療法を決めるのに重要である。

他覚症状

最初の頃はSNTGはそれほど大きくならない。左右対称で表面はなめらかで軟らかい。痛みもない。もしSNTGを引き起こす原因が続いたり、無治療で放置された時には、時が経つにつれて甲状腺腫は大きくなり、数個の結節が出てきて(多結節性甲状腺腫)、そのうちの一つが他より大きくなって目立つようになる《第11章》

合併症

SNTGの合併症は放置された例を除けば希である。

1. 圧迫症状

希に無治療で放置された場合に、甲状腺が大きく腫れて圧迫症状を引き起こすことがある。頭から心臓に流れ込む大きな静脈が圧迫されることもある。首の大きな静脈は太くなって目立つようになる。そして、顔がふくれたような感じ、目の下や顔に浮腫がみられるようになる。甲状腺の腫れが巨大になり、特に胸骨の裏に入り込んでいるときは、気管が圧迫される。甲状腺の一方が大きく腫れた時は、反対側に気管を圧迫する。ひどくなると呼吸にも影響を与え、眠っているときに奇妙な音が出る(喘鳴という)。

2. 反回神経圧迫

希に、甲状腺腫が声帯を動かす神経を圧迫して声がかすれることがある。もし声かすれが出現したら、すぐ医師に診てもらわなければならない。

3. 甲状腺機能低下症

甲状腺腫の原因がずっと存在したり、橋本病を合併したりすると時間が経つと、単純性甲状腺腫は甲状腺ホルモンを作りにくくなることがある。

4. 甲状腺機能亢進症

時として、SNTGが多結節性甲状腺腫(MNG)になって、甲状腺ホルモンを過剰に作り始める。もし、アイソトープ検査で取り込みが結節以外のところにあればバセドウ病になったことがわかる。

SNTGの診断

しっかり病歴をとって、多く検査をしたとしても大抵の場合は、SNTGの原因は分からない。甲状腺機能検査は正常である。ヨード不足、橋本病、甲状腺ホルモン合成障害などもみられない。これでおわかりのようにSNTGの診断は除外診断なのである。しかし、家族性に出ることもあるので何らかの甲状腺ホルモン合成障害があるのかもしれない。甲状腺腫を引き起こす食品や薬物をとっている証拠もない。病初期には、アイソトープの取り込みも正常である。

治療

SNTGの理想的な治療は原因となるものを除くことであるが、今のところ原因不明なので、これは不可能である。しかし、ヨード不足か甲状腺ホルモン合成障害のどちらかが原因と考えられているために、実際の治療は可能である。まず、ヨードの摂取を正常にしなければいけない。ヨードの不足や過剰(昆布、海草、薬など)は避けねばならない。ヨードの入った塩や海水から作った塩が広く使われ、有効である。これらはヨードを含有していることがラベルに明記されている。このタイプの塩を調理の際や、食卓において使うべきである。海の魚はヨードを多く含んでいる。甲状腺腫が小さいときには、ヨードを十分に取れば甲状腺腫がそれ以上大きくなるのを防ぐし、場合によってはより小さくするかもしれない。しばらくは、4ヶ月ごとに最終的には数年間は1年に1回の医師の診察を受けていたほうがよい。多くの場合はその程度の定期検診で十分である。多すぎでもなく、少なすぎでもない、適当なヨードを取るにもかかわらず、甲状腺が大きく腫れてきた時、又は、医師を訪れたときにすでに十分に甲状腺が腫れている場合には、サイロキシン〈注釈:チラージンSのこと〉による治療を要す。サイロキシン50μ/日より始め、100~150μ/日まで増量されることもある。15~30歳の患者なら、この治療は約3年間続け、その後減量して中止する。中止後も、甲状腺腫の大きさはよく観察されるべきである。甲状腺が腫れてこない人もいるが、中止後また、腫れる人もいる。この様な人は定期的診察を受けながら終生のサイロキシン服用を要す。見苦しい程甲状腺が腫れて、多発性甲状腺結節(MNG)になるまで放置していた場合には、手術が必要となることもある。甲状腺腫が圧迫症状を引き起こしたり、胸骨の後にある場合は甲状腺亜全摘術が考慮される。術後は、残った甲状腺がまた、腫れてこないように終生サイロキシン服用が必要である。

問題と解答

Q1. 甲状腺腫があるとはどういう意味ですか?
甲状腺腫は甲状腺の腫れを意味します。
Q2. それは、甲状腺がんをもつということですか?
違います。多くの場合は、がんではありません。
Q3. 何故、甲状腺が腫れるのですか?
今のところ、はっきり分かってはいません。それの原因について今研究中ですが、数種類の原因があるようです。
Q4. 今後、みにくいほどに大きくなりますか?
みにくい?そんな言葉は使うべきでありません。ほとんどの場合、他の人はあなたの首には気付かないでしょう。これ以上大きくしないで縮める治療を始める良い機会です。

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